順境

 

 余は順境に強い方だと思ふ。天氣も體調もよくて、廻りの者がお膳立てしてくれ、自分の氣力も充實してゐる時、機嫌よく何ごともうまく行くやうな氣になる。言ひ換へれば調子に乘りやすいといふことである。調子には乘るが、調子から外れると途端に力を失ふといふ傾向もある。創作にしても仕事にしても、自分以外の理由で、予定や段取りが思ひとおり運ばなくなつたり、邪魔が入り障碍が生じたりすると、あつといふ間にやる氣を失つて捨て鉢になる。何もかもが嫌になつて、何ごとも成功しないと思ひこんでしまふのである。

 氣分や機嫌だけで生きてゐるといつてもいい。まつたく、きちんとした大人の態度ではないのは十分にわかつてゐる。常に他人のせゐにして、責任を回避してゐては、結局何ごとも成し遂げられない事もよくわかる。わかるからこそ余計に腹立たしく、氣力が萎えてしまふのである。昨日の朝も、まず尺八を吹き、その後風呂に入つてから執筆にかからうと思つてゐたのを、吹禪中に家人から早く風呂に入れと言はれ、急に嫌氣がさして、結局何も出來ずに無駄で不愉快な一日を過ごすはめになつた。

 一方、そんな余が逆境に弱いかといふと、決してそれにめげずに何かを成し遂げる強さはないだらうが、逆境でも案外しぶといところはある。相當の不幸や不運、理不尽な目に遭つた事は多いが、さういふ際はモードが變はつて開き直るといふか、元々自分はかうした不運不幸の似合ふ人間なのだといふ思ひもあつて、もちろん嘆き悲しみはするものの、案外ある種の居心地の良さを感じて、立ち直れなくなるといふこともなく、結構いつの間にか調子に乘る日々に戻つてゐたりするのである。

 とは言へ、殘り少ない人生の中で、自分なりに何ごとかを成し遂げ、世に殘さうと思へば、こんな駄弁を弄してゐてはいけないのだが、やはり昨日來の不如意不愉快な感情を引きずつてゐるのである。