太平記

 やっと『太平記』を読み終えた。岩波文庫六巻、兵藤裕己校注本である。面白いとは思う。しかし、それは平家物語南総里見八犬伝の面白さとは明らかに違う。平家の文学性に比べると、戦の顛末は殺伐としたものだし、間奏に入る漢籍からの蘊蓄語りも退屈である。平家の登場人物に感じるような、雅やあはれや無常といった情緒に乏しく、八犬伝の圧倒的な面白さにはほど遠い。それでいて、八犬伝に劣らず、登場人物の相関図は複雑である。

 高一族というのも不思議な人たちで、優秀なのか愚劣なのかよくわからないところがある。興味深い人物は、後醍醐でも正成でもなく、やはり足利尊氏と直義の兄弟だろう。心情も行動も謎だらけで、複雑さといい加減さが入り混じっている感じがして、もっと知りたくなる。当たり前の話だが、私は尊氏を逆賊とする見解を全く馬鹿げていると思うので、特に南朝に肩入れする気は毛頭なく、ただ単純に尊氏の心理や思考に興味を覚えるのである。

 兵藤の各巻ごとの解説は詳しく、参考になった。特に、水戸学が何故南朝に拘ったかについての説明は明快で、要するに徳川家を新田家に結びつけて武家の統領たることを理論づけることにあったのだが、藤田幽谷あたりからその本意を逸脱して、武家政権を否定するイデオロギーになってしまったということである。だったら、水戸徳川家は、本家を潰した悔恨から南朝贔屓をやめればよかったのに、何故かいまだに南朝方について、楠公顕彰などに奔走しているのだから、まったくやれやれである。