ノーベル文学賞

   今年はペーター・ハントケというオーストリア人の作家がノーベル文学賞を受賞した。読んだことも聞いたこともない人だが、受賞に反対する人たちの言い分を聞く限り偏りのある問題なしとしない人のようである。毎年、その時期になると日本では村上春樹の受賞の可能性が話題に上る。私は村上を全く評価していないので、そんなことになったらノーベル賞の恥辱以外の何ものでもないと思っていたが、そもそもノーベル文学賞そのものが、もはや血にまみれた呪われた称号になっているのかも知れない。ところで、私が村上を認めないのは、それなりに読んで来たからである。読んでいないのにただ嫌いだから認めないとは、さすがの私も言わない。確かに、近作を読むことはなくなって久しいが、ノーベル文学賞は個別の作品にではなく作家に与えられるものだから、その作家の旧作も広い意味での対象となるとすれば、それなりに評価をくだす資格はある筈である。何が嫌いなのかはここでは書かない。基本的に村上を批判する多くの論調と大きくはずれてはいないからである。興味があるのは、日本人のある一定の人間には虫唾が走るほど嫌な村上の小説が、海外でどのように読まれているかである。そうした研究もあるにはあるが、美学者の小粒な論評だったりするのでまだ読んでいない。もし良質な論評が出現したら読みたいとは思う。自分が吐き気を催すものを、海外の読み手がうまそうに食べている理由を知りたいとは思うのである。