泥の河

一月四日(金)
映画『泥の河』を観る。封切時に観ているから37〜38年ぶりである。わたしの中で「姉三部作」のひとつであり、まだはたちそこそこだったわたしはきっちゃんの姉銀子ちゃんに憧れたのをよく覚えている。ちなみに他の二作は『トト・ザ・ヒーロー』と『恐るべき子供たち』である。トトの姉アリスとポールの姉エリザベートが、わたしの欲しかった姉の理想像である。
40年近くの年月を経て、今観ても昭和や戦後の雰囲気が記憶に残る世代には、なんとも切なく、静かに胸に余韻が響く物語である。当時は主人公の信雄に完全に感情移入していたのだと思うが、流石に今は男の子の親になった経験を経て、田村高廣の父親としての優しさと復員兵としての悲哀が胸に迫る。40年の間に自分も人生経験を積み、多くのことを学んで最初に観た時とは違う角度で捉えられるようにはなった。おそらく当時より複雑な思いが渦巻くのであろう、単純に涙を流していた当時と異なり、いつまでも胸の中で切ない思いが消えない。子役たちは本当に昭和を体現していて、自分の昔の友達や近所にいた子供たちのように感じられる。銀子ちゃんが信雄の母親に内風呂に入れてもらって嬉しくて笑顔を見せるシーンは本当に切ない。あの後どんな人生を送ったのだろうか。高度成長の波に乗って、ある程度人並みの暮らしが出来るようになったとしても、あの頃のことは思い出したくないような、忘れたくないような、言いようのない記憶として心の隅に残るのだろう。暮らしは人並みになったけれど、あの頃に大人たちが示してくれた優しさにその後二度と出会っていないという思いとともに。そして何と言っても加賀まりこの美しさ、声の良さは素晴らしい。船の中で壁越しに聞こえる声が、艶があって優しいのに退廃感もあって絶妙である。
蟹を燃やすシーンを覚えていなかった。お金を落としたきっちゃんの精一杯の償いの気持ちと、加賀まりこが春を鬻ぐ姿を見てしまった信雄の動揺の間にあって、その前後の流れがきわめて自然であるために、記憶の中に溶け込んでしまったのかも知れないが、今観ると映像としてきわめて印象強いシーンである。白黒であることで生々しい残酷さを回避できている点でも印象的だ。あらためて、とても素晴らしい映画を再び観られたことに感謝の気持ちで一杯である。