サッカーと相撲

一月十五日(火)陰後雨
ワインを飲むようになって思うのは、ワインというのは世界中で作られ、それぞれに特徴や長所があるということだ。世界規模の酒であり、産地にも多様性がある。これはスポーツで言えばサッカーなのである。それに比べればウィスキーでせいぜい野球、というよりベースボールくらいか。日本酒はその点やはり相撲程度のものなのであろう。いくら国技といったところで、日本人力士が弱いことを思えば、そのうち杜氏も外国人、米も外国産になるかも知れない。まあ、もう飲まないからどうでもいい話ではあるが。
ところで、世の中には二種類の人間しかいない、という断言は嫌いではない。古くはユルスナールの「死を常に意識することでよりよく生きられる人と、死を想念から追い払うことでよりよく生きられる人」という二分法には唸ったものだ。わたしは前者に類するはずなのだが、うまく出来ていない。最近思ったのは、世の中にはスマートフォンを見ながら歩いている人とそうでない人しかいない、というものだ。わたしはスマートフォンを必要最小限しか使わないから当然後者であるが、前者の鬱陶しさには怒り心頭である。歩くのがのろい上に、前を見ていないからぶつかりそうになる。しかも、ゲームにしてもラインにしてもニュースやネットショッピングであっても、年中スマートフォンを見ていないといられない人が馬鹿にしか思えないのである。スマートフォンを歩きながら見ている人を車が轢き殺しても無罪になる法律が出来ればいいのにとまで思う。少なくとも、そうした人がどんどんぶつかったり穴に落ちたりすることで、歩きスマフォ派が減ればどんなにいいことかと思う。