サード

家内とクイーンの話をしていて、本田美奈子がブライアンに曲を作って貰ったことに話が及んだ。わたしが、生きていれば三原順子のような変なおばさんにならずに、きっと素敵な女性になっただろうと言った。若くして亡くなった芸能人にはすごい人が多かった、夏目雅子も綺麗だったし、岡田有希子も可愛かった、と話すうち、そう言えば岡田の自殺の原因になったとされる峰岸徹も死んだことに気づき、ふと森下愛子のことを思い出した。家内も森下愛子は可愛かったというので、映画『サード』を観たことがあるかと聞くとないという。急に観たくなって樂天でさがすとウエツブ配信で観られることがわかり、早速購入した。観始めてすぐに、迂闊にも脚本を寺山修司が手掛けていたことを今まで知らずにいたことに気づく。その上で観れば、随所に寺山ワールドテンコ盛りなのである。
高校生のわたしがこの映画を観たとき、とにかく森下愛子の裸がまぶしくて、校内で女の子を抱くという行為に素直に欲情していたのをよく覚えている。しかも、映画を観てしばらく後に、テニス部役の女優を吉祥寺駅のプラットフォームで見かけたから、妄想は膨らむ一方だった。あれから40年、今では寺山好みのさまざまな仕掛けや手触りを探すことで映画を楽しむことが出来た。なるほど、年齢によって映画とはこうも違ったものになるのか。17歳の自分にとってセンチメンタルなポルノでしかなかったのかも知れない。わたしはこの後誰もいない野球場でダイヤモンドを駆け抜けたりもしたのである。それはまさに、恋人はおろか、ガールフレンドもいない孤独でみじめな自分の感情をサードに託して何某かの意味をもたせようとした空しいあがきだったのだろう。
それにしても観たいと思った映画を400円程度の低価格ですぐに観られるのだから、実に便利な世の中になったものだと思う。その上で、観たいと思うかつて観た映画は70年代後半から80年代前半のものが圧倒的に多い。自分のはたち前後のことなのだから当然とも言えるが、考えてみれば、クイーンを聴いていたのもその頃なのである。もはや歴史的な回顧の対象としての80年代が話題になって久しいが、40年経ってやっと、自分のその頃の漠然とした思いや感情の背景にある「時代感」のようなものを、客観的に理解し始めたのも事実であろう。永島敏行のシニカルな気分に当時何の違和感もなく共感できたのも、要するに自分が時代のそういう気分を共有していたからなのだろうが、その出所が寺山だったと知って、今さらながらに合点がいった次第である。