詩人の本棚

 空港に着いてからパスポートと航空券を忘れてきたことに気づくのはいつものこととは言え、その狼狽ぶりはいつになっても慣れるものではなく、タブレットで予約したシートの確認とクレジットカードの支払い明細を確認するうちにニューヨークに着いた。それから移動して空が青く四方を山に囲まれたミネソタの田舎町の一軒家に落ち着く。今回は実の娘と二人でしばらく滞在するつもりである。娘は十六・七なのだが、着いてすぐに水疱瘡に罹っていることが判明し、滞在は二週間だからそのうちに治るので治ったらどこかに連れていってあげるからと言って慰める。そして恋人同士のように抱き合って眠る。自分はすでに水疱瘡をやっているから染らないと思うのである。それにしてもこの旅行を妻がよく許したものだと娘に言うと、もう忘れているのよと答える。わたしたちは性交こそしないものの深く愛し合っているらしい。ところが寝ていると私たちが住む家の納屋が燃え始めて近所の人たちが総出で消火し始めるのが見え、中にはレザーのジャケットと短パンを身につけたハードゲイ風の二人組もいる。隣人の共和党支持者の初老の白人は消火装置をわたしが付けていなかったことに怒っており、付けるまでは口をきかないと言って、お礼に行ったが会ってもくれない頑迷さを示す。分断されたアメリカの深い病理を感じてやむなく屋根に上がって周囲を眺めていると、近所の悪ガキどもが我が家の壁に何かをぶつけて遊んでいるのが見えた。わたしはseems not good と言う。その後屋根から屋根裏部屋に降りようとするが階段が朽ちていて滑り落ち、足に何か得体の知れぬものがまとわりつくが何とか振り払う。そして病の癒えた娘と外に出掛けるのだが、右手の函館湾の彼方に黒い噴煙が上がり始める。昭和新山の爆発であることがすぐに分かり、わたしたちは近くの知り合いの家に避難する。川べりに建てられたその家からは川の様子がよく見える。波立って川が逆流するとともに、火山岩が飛んできて水しぶきを上げている。映画にしてはずいぶんと金を掛けた仕掛けだと思って見ていると、わたしのいた張り出したベランダのような部分が川の流れで崩れ始め、わたしは足から攫われそうになるが、家の人たちが必至で引き上げてくれたので難を逃れた。わたしは改めて室内を見まわす。この家は30代後半らしい、短髪で髭をはやして丸眼鏡を掛けた詩人の家なのである。その書棚は決して本は多くないのだが、何とも清々しい感じのするもので、仏教の経典が二冊と「ことばの辞典」、詩集や哲学書、それに「大学の時代」と題された三巻の豪華本などが並んでいる。どれも愛読され大事にされた感じが伝わり、やはり詩人の書棚は違うものだと大いに感心する。そうしたわたしに聞かせるでもなく、赤ん坊を背負った若い細君がその詩人の作った詩を口ずさむ。大本営発表風の口調に乗せて、戦争下でも庶民は明るく逞しく生きていることを、ユーモアと風刺をまじえて詠い、最後に無線での応答風に「こちらは以上、どうぞ」で締める何とも言えず素晴らしい作品である。口調や声が絶妙に良いのである。しかもその細君が女優かと見まがうほどに実に美しく、赤ん坊の女の子も夢のようにかわいい。わたしが女の子のふっくらとした柔らかい頬っぺたに触れると一瞬泣き出しそうになった後でにっこりと笑う。そのかわいさにキュン死状態となったわたしはこの詩人の幸せを心から喜ぶ思いで満たされてゆくのであった。