萬葉集

二月十九日(金)晴
數日前から萬葉集を讀み始めた。佐佐木信綱校訂の岩波文庫版と武田祐吉註釋本を併せて讀んでゐる。實を言へば余は萬葉集が苦手で今まできちんと讀んだことがない。以前海や潮の香りについての原稿依頼を受けた際に拾ひ讀みをしたくらゐで、上代語の難しさもあつて今まで敬遠氣味であつた。ところが、此の日乘で連載してゐる「かをりをりのうた」を進める上で、日本語のより古層に屬する萬葉集を避けて通れないと思ふやうになつた。よく知られてゐるやうに、萬葉集では嗅覚に關する歌は極めて少ない。一方で、「にほひ」の語が視覚的なものを指すと長いこと言はれて來た。其の邉の實際のところを自分の目で確認したい氣になつたのである。記紀歌謡や催馬樂、神樂歌については、逆に和歌とは全く別のものといふ意識が働くのか、そのリズムやことばの不思議な音感が割と好きで樂しむことが出來るのに、萬葉集は和歌のひとつとして見ようとするせゐかどうも異質に感じて好きになれなかつた。それにアララギ派を始めとする萬葉集賛美とその亞流の短歌が生理的に好きになれないといふ事情も働いてゐたかも知れない。いづれにせよ、喰はず嫌ひはよくないので、食した上で好きな歌さうでない歌がわかれば良いのだらうと思ふ。源氏物語再讀はその後になりさうである。