言の葉・言の花

日本語からの哲学

『日本語からの哲学』という本【1】を読んだ。 「です・ます」調で書いた論文が査読で撥ねられたことに端を発して、なぜ論文を「です・ます」調で書いてはいけないのかという問いから始まった思索の成果である。それだけ聞くと、世間的常識に対する反感やル…

嫌ひなことば遣ひ

いい歳をした大人が「はずい」だの「むずい」などと言つてゐるのを耳にすると、殆ど生理的な嫌惡を覺える。「まるつと」「しらつと」なども耳障りである。さういふことば遣ひをする人は語彙力が貧弱なのか大抵同じ語を繰り返すので、如何にも頭が惡さうに見…

薫風問題

会社の社内報のタイトルを「薫風」という。良い名前だと思う。それの英語版が出ていて、そのことを社史で取り上げたところ、スペルが違うのではないかと、何かにつけ細かい役員から指摘を受けた。わたしは「Kumpu」としたのだが、実際は「Kunpu」だそうで、…

大きなことば

そのことばの意味や概念、あるいは文化によるコノテーションの違いや思想史的な位置などに興味を持って読んだり調べたりしていくうちに、その拡がりの奥深さにたじろいで探究を断念してしまうことがしばしばある。わたしにとっては「鏡」や「自然」、そして…

時間の無駄

十一月二十二日(木)陰 某マーケテイング協会の主催する研究会に行った。コピーライターの岡田某氏による、「うつくしい日本語を次世代に」と題された講演である。タイトルに惹かれたわけだが、これがまったくひどい代物だった。松岡正剛や佐藤優の知的で濃密…

詩と短歌

八月二十六日(日)晴 石原吉郎の『北條』と『北鎌倉』を読み終えた。前者は詩集、後者は歌集である。石原への興味はわたしがこのところずっと持ち続けている戦中派への関心のつながりの中で湧き起こったものだ。安田武、渡辺清、船坂弘の著作やその周辺の書物…

萬葉集

二月十九日(金)晴 數日前から萬葉集を讀み始めた。佐佐木信綱校訂の岩波文庫版と武田祐吉註釋本を併せて讀んでゐる。實を言へば余は萬葉集が苦手で今まできちんと讀んだことがない。以前海や潮の香りについての原稿依頼を受けた際に拾ひ讀みをしたくらゐで、…

二日目

一月二日(土)晴 暖かき正月也。遅く起きて箱根驛傳を觀る。午後近所の神社に初詣に出掛け、後嶺庵にて最近入手した香木を聞いて銘をつけ、さらに岳母の社中の初釜にて行ふ予定の組香を新たに考案する。さらに恒例の、今年の抱負を妻と二人分墨書する。また、…

ビツグニユース

八月四日(火)晴 ネツトで見たニユースに思はず笑つた。不謹慎ではあらうが、余はかういふのが好きなのである。 「プエルトリコが債務不履行」 さう考へると中南米の國名といふのは言葉遊びにはもつて來いのものが多い。響きが良いのであらう。 「ボリビアの…

雜録

二月十一日(水)晴 モテ期ならぬ働期(はたらき)である。忙しい事もあるが、香りを創ることも文章を作ることも樂しく充實してゐる。仕事歸り週二・三囘リハビリに通ひ、時間も取られるが止む方あるまい。五拾肩がまだ治らぬので尺八を吹くことも筆を揮ふことも…

奇遇の讀書

一月十一日(日)晴 『伊澤蘭軒』を讀む事久しく、漸く其の終盤に差し掛かつた。『頼山陽とその時代』を讀み繼いでゐた時分に、突如此の書を讀みたくなつて鷗外全集當該巻を買ひ求めた。無知とは恐ろしいもので、讀み始めて直ぐに、蘭軒と山陽、そして菅茶山の…

歌作

十一月十日(日)陰後雨 例會二日目。寝不足の儘早朝初めて温泉に浴す。午前短歌を作る課題あり。余は竟に其の場の一期一會を詠み込めず、哥ごころの枯渇を感ず。皆で城ケ崎海岸の雄々しき波濤と巌の景色を見た後晝食、更に各自の短歌をO先生に添削、批評して…

ことだま先生宿

十一月九日(土)陰 東海道線を乘り繼ぎ晝過ぎ伊東に至る。晝餉を餐して後驛前よりバスに揺られM倶楽部例會に向かふ。當代随一の歌人を迎へ其の語りに耳を傾けたる後伊豆高原の宿花吹雪に移動。余は風邪氣味なれば温泉に浴さず、夜語りに備ふ。夜も亦心に染み…

細川と夢顔

『細川護貞座談』読了。割にものの分かる人だつたやうだ。少なくとも息子の護煕よりは余程学問も芸術も分かる人のやうに思ふ。近衞文麿は岳父に当り、戦中其の秘書官等を務めたが、戦後は潔く政治の世界から身を引いて文と美の世界に遊んだのも、狩野直喜仕…

芭蕉・西行・能

安田登著『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす』読了。「おくのほそ道」が義経鎮魂の為の旅であり、其れが西行の崇徳院鎮魂の行をなぞるものであり、さらに二人のさうした行為が能のワキの役割に当るものであることが、実にすんなりと理解できる好著である。芭…

漢字の力

五月九日(水)陰 張莉著『五感で読む漢字』(文春新書)読了。漢字に対する興味深まる。松岡先生経由で白川静を読んだのと、書の歴史を知らうとすれば避けて通れない漢字の成立の事情や空海の字や言葉に対する思想に触れたこともあつて、甲骨文、金文、篆書から…

旧字旧仮名

四月十三日(金)晴後陰 『私の國語教室』を読んでゐて、歴史的仮名遣ひに対する理解を深めると同時に、余も今まで此の日乘でも誤つた表記をしてゐたもののあることに気づかされた。しかし、福田先生も、此の対現代仮名遣ひといふ問題に取り組むまでは無智によ…

洌と冽

四月十一日(水)陰時々雨 余は俳号を幾つか持つてゐるが、其の中に「冽仙」といふものがある。松岡正剛先生から頂戴した俳号だが、松岡先生直筆の命名書は勿論毛筆であるから冽の字の偏がつながつてゐて二水だか三水だか判然としない。漢和辞典を見ると「冽」…

逆行

四月十日(火)晴 今朝から突如腰痛に苦しむ。肩、腰、膝と全身ガタが來てをりジムにも往けず。其の為体重が増え危険水域に入りかけてゐるので今日から粗食を心掛けやうと思ふ。定時退社し、腰痛の為常より時間が掛るもいつもの電車に何とか間に合ふ。帰宅後直…

訂正ひとつ

二月十七日(金)晴 昨日敦明親王が小一条院と号されたことに対し、恰も其れが小馬鹿にした名前のやうに書いてしまつたが、必ずしもさうではなささうだ。親王の母親は藤原済時の娘娍子だが、済時は師尹の子で、此の家流を小一条流と称してゐたやうなのである。…

言葉遊び

二月十六日(木)寒し 余は実在の氏名や既存のものの名をもじつて架空の名を作つて新たな世界を作り上げるのが好きである。言葉遊びとかもじり、駄洒落、見立て、尽しといつた遊びである。其の中で自分でも悪くない出来だと思つてゐるのが「小鳥羽院」である。…

ことばのちから

一月二十八日(土)晴 七時半起床。九時過ぎ家を出づるも根岸線運転見合せ等あり、十一時少し過ぎて一如庵着。如道忌にて松風を如覚の曙調子との二管にて吹くこととなり、鈴慕無住心曲を吹いた他松風を都合四回吹く。終ればすでに十二時半にて急ぎ品川に赴く。…

震へと孤独

九月七日(水)晴 考への至らぬ処もあるだらうし、あらゆる可能性を検討した上で得た結論でもない。ただ、自分の思ふこと、感ずること、考へたことを文章にし、何度も読み返し、繰り返し書き直し、ようやく形になつたことを確かめ、やつと外に向けて発信しやう…

念のため

九月六日(火)晴 泥鰌は「どぜう」とも書くが、此れは江戸時代に広まつた誤記であることを知つてゐたので、今回字引で確かめたら正しい歴史的仮名遣ひは「どぢやう」とあつたので昨日の記述は間違ひではない。 夜久しぶりに坐禅。十時半に就寝。

二匹目も三匹目も駄目なものは駄目

九月五日(月)陰時々雨強し、溽暑耐へ難し 何だかよく知らないが、時の総理大臣が演説で引用したとかで相田某の書の本が売れてゐるのだといふ。どんな言葉を引用したのかさへ知らないが、余は此の相田某の書も言葉(詩であるらしい)も良いと思つた例が無い。と…

名にしおふ

軍手や軍足が流行つてゐるのかと思つてゐたら人名のやうであつた。あの国の人に興味はないのでそれ以上調べもしないが、最近目にした名前では何と言つてもレデイ・ガガが群を抜いて素晴らしいやうに思ふ。有無を言はせぬ存在感がある。カリガリ博士やガリレ…

六字熟語

四字熟語の、後ろの二字を重ねてみるとなかなか面白い。 例へば、曖昧模糊を「曖昧模糊模糊」として「曖昧モコモコ」と読むと、なるほど曖昧だなといふ気がしてくる。 同様に「意気揚々」を「意気ヨウヨウヨウヨウ」とすれば、ラツパーのブラザー風に元気一…

電気の伝記

蛍光灯が嫌ひである。 明りの質が苦手なのと、たいていは明るすぎること、そして目がちらつく点が嫌なのだが、特に切れかかつてチカチカし始める様は、まるで断末魔の叫びのやうで、見るに耐へない。 会社では蛍光灯ではあるものの、上向きの間接照明に出来…

自粛と大祓

世の中「自粛」をめぐる賛否両論で喧(かまびす)しいが、わたしは基本的に、自粛を「触穢」や「物忌み」の現代版だと考へてゐるので、死や禍(わざわひ)を穢れと思ふ人たちは必然的に自粛をするのだらうと思ふ。要するに、穢れが自分に伝染するのを恐れて外出…

あんまりな名前

どうでもいいことであるが、社民党現党首の名前は現時点でマイナス・オーラ五百万点ではないだらうか。ご存じとは思ふが其の人の名は福島瑞穂(みずほ)である。此れに匹敵するのは、実在しないだらうが都並玄八(つなみ・げんぱつ)くらゐしか思ひつかない。