洌と冽

四月十一日(水)陰時々雨
余は俳号を幾つか持つてゐるが、其の中に「冽仙」といふものがある。松岡正剛先生から頂戴した俳号だが、松岡先生直筆の命名書は勿論毛筆であるから冽の字の偏がつながつてゐて二水だか三水だか判然としない。漢和辞典を見ると「冽」は冷たいで「洌」は清いが第一義だが、清冽も清洌も熟語としてあり、音も「レツ」であることから似たやうな意味に使はれたり混同されることも多いやうである。要するに水と氷の差で、冽の方が冷たいといふことであらう。三水だとちよつと五月蠅い気がしたので結局「冽仙」にしたのだが、今になつて見ると松岡先生は「洌」と書いたのかも知れないと思ふやうになつた。それといふのも「暗黒日記」で知られる清沢洌(きよさわ・きよし)の名を偶々ネツト上で見つけて、もしかしたら命名の際に松岡先生の頭の中にあつたのは清沢洌の名ではなかつたかといふ気がして来たからである。
割とすんなりと決まることの多い俳号授与の場において、余の際は例外的に時間が掛つた。人となりや職業・趣味から俳号を捻り出すため、インタビウ形式で質問されるのだが、余の好む文人や哲人の名を挙げると其れが尽く先生の好みとも合ふらしく、また尺八の話やら香りの話もするうち余りにも情報量が多くなり過ぎてどこにポイントを置くかがぼやけてしまつたのであらう。そんな中漢字の偏や旁で何が好きかと問はれて余は三水と答えた。清源流は自分の主宰する流派であるし、源を本姓とする他法名の隆源にしても三水を用いてゐる。梅雨時の蟹座の生まれといふこともあつて水に対する親しみを常に感じて来たこともある。水の清清しさと流れゆくものといふ性質に魅かれて來たと言つてもよい。だから好きな偏を聞かれるといふ余りない状況でもすぐに答へが出てきた訳だが、其れを聞いて松岡先生の頭の中に浮かんだ名のひとつに清沢洌があつたのではないか。さういふ眼で見ると、実に清清しい名前である。其の名と『暗黒日記』といふおどろおどろしいタイトルの対比が面白い。
まあ、既に名刺も「冽仙」で刷つてしまつたことであるし、今更「洌仙」に戻す気もない。都山流の尺八吹きに「洌山」を号とする人がゐて、しかも其の人が六月の国際尺八フエテイバルで余の嫌ひな中村明一の曲を吹くといふので余計に「洌」は嫌になつてしまつた。小さな違ひではあるが、やはり「冽仙」で行くことにしやうと思ふ。
ちなみに余の他の俳号は「乞子(きつし)」や「頓采(とんさい)」があり、もうひとつ「さんりゆう」といふのがあるのだが、さんは散だがりゆうの字が出ない。風偏に翏が右に乗つた文字。飄眇亭の飄を始め、水と並んで風の入る字に余は弱いのである。