2012-01-01から1年間の記事一覧

大晦日 

十二月三十一日(月)晴 平岡正明著『新内的』読了。平岡兄イの手練れの文章を読む楽しさと、好きな新内の、それも文弥のものを、幅広くまた奥深く知るための知識を与えてもらえる嬉しさ。『江戸前』の到着が待ち遠しい。本を読み、通信を書いていたらあっとい…

平岡的 

十二月二十九日(土)晴後陰 平岡正明『浪曲的』読了。う〜む、参りやした。平岡の兄イ、お見それしておりやした。お見事な筆さばきでござんす。遅ればせながら、はばかり、このあっしを子分の末席に加えてやっちゃあくれませんか。お願えいたしやす…とまあ…

駅伝と古本屋

十二月二十八日(金)陰後雨 仕事納めの日である。会社では例年この日、同じ構内にある工場と研究所が合同で構内駅伝大会を開催する。今年で45回目だという。10時45分スタートだから就業時間内ではあるが、もちろん希望者のみである。各職場がチームを組んでエ…

苗字の分類 

十二月二十七日(木)晴、極めて寒し 苗字の分類を考えた。含まれる苗字の核となる字による分類だ。例えば「田」。米の国らしく恐らくこれが、苗字の種類としては一番多いのではないか。田中、和田、川田、山田、村田、町田…といくらでも挙げられそうだ。「…

浪曲的 

十二月二十六日(水)晴 平岡正明著『浪曲的』を読み始める。同じ人の『新内的』の方を先に買っていたのにこちらが先になってしまった。ただ平岡兄貴が江戸の折り目正しい町人言葉を聞きたいならコレ、と推奨している岡本文弥の新内『次郎吉ざんげ』の入った…

雲右衛門

十二月二十五日(火)晴 兵藤裕己著『の国民国家−浪花節が創る日本近代』読了。この人の本は初めて読んだが、とても面白かった。浪花節の来歴や日本芸能史の中での位置づけ、桃中軒雲右衛門について、わたしの知りたかったことをおおよそ教えて貰っただけでな…

小田原 

十二月二十四日(月)陰時々晴 十時車で家を出て十一時前に小田原誓願寺に着く。家人の実家S家の菩提寺である。程なく岳父母、義妹も到着し、倶に墓参。それから蒲鉾の丸う、薩摩揚げの佐倉、さらに外郎本舗と小田原の王道とでも言うべき店で買物をしてから…

雨瀟瀟

十二月二十一日(金)陰 昨夜草森伸一著『荷風の永代橋』讀了。續けて荷風「雨瀟瀟」を讀む。薗八節についての言及があるので有名だが、要するに妾宅に纏はる身辺雑記にも似た小品である。この作品の収められた新潮文庫は架蔵してゐるが、新字新仮名であるのと…

幼児語

十二月二十日(木) 子どもに話しかけているわけでもないのに、いい歳をした大人が「でちゅ」とか「まんま」などといった言葉を使うのは、聞いている方が恥ずかしくなることもあり、一般に避けるべきこととされている。当然である。しかし、ある特定の単語だけ…

日本沈没 

朝選挙結果を知る。自民の大勝は仕方ない。民主の惨敗は当然だ。しかし自民の横暴を許さぬための野党の柱となるべき政党がないというのは怖いのではないか。また維新の何とかという連中が一定の議席を獲保してしまうとは、世も末という感じである。国民の意…

朝日山 

十二月十七日(月)雨 このところ何故か日本橋界隈に行くことが多い。人形町での買い物から始まって、先日もお江戸日本橋亭に出かけたばかりである。今日も東京駅から歩いて日本橋二丁目の朝日山酒蔵直営の店に行く。久し振りの接待である。自分の会社から四…

笠間晴れ 

十二月十六日(日)晴 六時二十分起床。日課の臨書を終え、区役所で衆議院選挙投票の後駅に向い、京浜東北線で上野に出る。九時半発の特急に乗る。プラットホームで神先生を見つけ倶に乗車。先日の染井の写真を贈呈。又、『荷風の永代橋』をお見せする。友部…

茶竹雨 

十二月十五日(土)雨時々陰 未明突如激しい腹痛に襲われ目覚める。年に数回こういうことがある。胃腸は基本的に弱い。雨の中十時過ぎ家人と車で出て町田へ。岳母の社中で茶之湯稽古。夕刻尺八練習。明日の納会に向け一閑流六段をしつこく練習。夕食のすき焼…

墨をこぼす 

十二月十四日(金) 定時に退社し家に帰り、尺八の練習をしようと文机上の墨池をどかそうとして手が滑って落とし、中の墨液が畳や床にこぼれた。その後始末に小半刻を費し、練習時間が減ってしまった。我が家では毎朝半紙二枚の習字をするのがここ半年程の習…

清澄永代橋今戸心中

十二月十二日(水)晴 今日からしばらく口語に近い文体に戻すことにする。漢字送り仮名も当用を使う。と言うのも発行の遅れている飄眇亭通信を書くのに、少し通常の文体に戻すための慣れが必要だと思えてきたからである。この日乗の文体で書くことに余りに慣れ…

百合根きんとん 

十二月九日(日)晴 茶之湯稽古。山里棚にて薄茶濃茶各一囘点前を為す。濃茶の主菓子は若柳製百合根きんとん。晝食には岳母の手になる粕汁を食す。鮭の風味も良くなり極めて美味なり。社中の門弟皆お代りをして賞味す。夕刻呉服商越後屋さん來り、先日求めし…

観潮梅川

十二月八日(土)晴 十時より一如庵にて尺八稽古。流し鈴慕、一閑流六段を一尺八寸で吹く。早稲田驛より地下鐡を乘り繼ぎ東大前に至る。改札にて家人と落合ひ農學部の脇青年の道を辿り千駄木に進み、漱石旧居跡を見て後観潮楼に到るも未だ晝食をとらざれば団子…

日常の歪 

十二月六日(木) 終日雑務に追はる。本日賞与支給さる。査定の極めて低きを知るも上司の覚え芽出度からざれば止む無し。夜家人と争論あり。

晩秋好日 

十二月五日(水)快晴 大船から座つて京濱東北線にて上野まで、其処で山手線に乘り換へ巣鴨に至る。十時の約に十分早く着くも既に兩先生及びS田先輩の姿あり。四人にて徒歩染井霊園向かふ。冬晴れの陽光降り注ぎ遮るもの無き日向の多き墓地は思ひの他暖かし。…

歸社 

十二月四日(火)雨後晴 午前赤湯驛より山形新幹線にて歸途に就く。車中持参せし『荷風の永代橋』を讀み進む。半分まで讀み終る。午後出社、急ぎの依頼を処理して定時退社。睡氣甚だしければ早めに寝に就く。此の日先日の彼誰忘年會にて話題に上りし孫崎享著『…

出張 

十二月三日(月)陰 山形に出張。夜は得意先接待の會食。同行せし営業H氏の歯の浮くやうな世辞に辟易すること例の如し。十一時前就寝。

総稽古 

十二月二日(日)晴 九時過ぎの電車に乘り日比谷に到る。徒歩出光美術館に赴く。琳派藝術IIと題せし展覧會を観る。既に目にせし作品が多いものの、好みの抱一、其一の畫を堪能。地下街にて晝食の後地下鐡北参道にて降り、徒歩妙喜庵に到る。一時より來春のお…

盛りだくさん 

十二月朔日(土)陰後雨後晴 よく睡眠をとつたせゐか体調大分戻る。十一時より一如庵にて稽古。夏目坂にて晝食の後地下鐡を乘り繼ぎ茗荷谷に至る。一時半過ぎ全林野會館七階に着き竹友會同窓會合同練習會に加はる。二時より千鳥、夕顔と大勢に混つて吹き、瀧…

病欠 

十一月三十日(金) 風邪惡化。會社を休む。午前近所の内科に往き薬を貰つて歸る。本を讀んでは睡眠の繰り返し。草森紳一『荷風の永代橋』を讀み繼ぐ。こちらも八百頁を越える大冊である。

難儀 

十一月二十九日(木)陰 昨夜喉が痛み寒氣がするので十時就寝するも、今朝起きると微熱あり喉の痛みも増してゐる。休むことも考へたが、かういふ時に限つて色々提出せねばならないものもあり、無理して出勤。週末は忙しく休んでもゐられないのでとにかく今日…

よしなしごと 

十一月二十八日(水)陰後晴 自民は嫌ひ、民主には呆れ返る、維新とやらには虫酸が走る。 昔、排水口によく似た名前の馬が居た。 目黒瞳といふ名前の眼科医が實在する。 寒くなつて來た。早く春になつて欲しいと心から願ふ。いや、春を通り越して夏でもいい…

三者並列問題 

十一月二十七日(火)晴 例へば川沿ひの狭い遊歩道を歩いてゐるとする。前方にはゆつくりと老人が歩いてゐて追ひ抜くことになるが更に前からはこちらに向つて歩いて來る人がある。かうした場合、何故かしら追ひ抜くのと前から來る人と擦れ違ふ地点が一緒にな…

大樋焼 

十一月二十五日(日)陰 八時起床。午前中は揮毫。晝食後眠氣甚しく仮眠。二時前家人と出掛け横濱高嶋屋七階美術画廊に赴く。大樋長左衛門の作品展の呈茶席に岳母の師たる関先生を訪ね、岳母ともども挨拶の後一茶を喫す。出されし茶菓まづし。甘さくどく驚く…

竹香酒 

十一月二十四日(土)晴 十一時より一如庵にて尺八稽古。一閑流六段はほゞ完成。急ぎ歸路に就き、途上花を購ひ更に川沿ひの道から野草を摘んで歸宅。嶺庵に竹籠の茶花、二階は花瓶に生けてから嶺庵の掃除などをするうちK氏より連絡入り、五時に車で驛まで迎…

秋雨紅葉 

十一月二十三日(金)雨後陰 朝食の後宿を發ち修禅寺に赴く。三門の辺り紅葉鮮か也。昨日より秋の特別公開の始まる方丈庭園を拝観。雨の中紅葉を愛でつつ散策。温泉地らしく観光客多し。其の後浄蓮の滝を見物、更に旧天城トンネルを通り抜けたる後修禅寺方面…