清澄永代橋今戸心中

十二月十二日(水)晴
今日からしばらく口語に近い文体に戻すことにする。漢字送り仮名も当用を使う。と言うのも発行の遅れている飄眇亭通信を書くのに、少し通常の文体に戻すための慣れが必要だと思えてきたからである。この日乗の文体で書くことに余りに慣れ過ぎて、いざ普通の文章を書こうとすると何やら困難さを感じ始めたのである。
さて、今日は朝から墨東方面に出かけ午前中平井にある得意先の会社で用談。昼前終って平井駅に戻り、寿司屋で熱燗を呑みながら昼食の後、錦糸町経由で清澄白河に出て、歩いて入園料150円の清澄庭園に入った。朝のうちは実に寒かったけれど、昼過ぎの日差しは暖かく、気持ちよく庭内を散策。各地から集められた名石で有名な庭だけに、石好きのわたしには堪えられない。手の届くところにある石には必ず手で触れて質感を確かめ、石の肌触りを楽しむとともに石と対話をしているつもりである。伊豆や紀州の青石に姿や感触の良いものが多かったように思う。

清澄庭園
紀州青石

それから隣の清澄公園を斜めに横切り、佐賀町を抜けて永代橋に向かった。今読んでいる草森伸一の『荷風永代橋』に度々言及されるので行ってみたくなったのである。その本に出て来る草森が居住していたマンション向かいにある床屋が今もあることを確認し、それから逆算して草森が住んでいたのはこのマンションだったのだろうと見当をつける。草森について綴る「その先は永代橋http://d.hatena.ne.jp/s-kusamori/というブログによれば、その草森旧居のマンションと永代橋の間に無粋なマンションが建設中とのことで、見ると実に嫌な場所に確かに建設が進んでいる。これでは草森旧居からの永代橋隅田川の眺望は完全に遮られてしまう。草森が生きていたらさぞ怒りもし落胆もしたであろうと思われる。
永代橋
その永代橋を渡ろうと歩き始め、草森の文章をあれこれ思い出しながら橋上から佃方面を眺める。佃の向かいの鉄砲津に親戚が住んでいるので子どもの頃から親しんでいた地域ではあるが、もちろん往時の面影は殆どない。
渡り切って新川に入り、文庫専門の酒井古書店を探し当てて入る。専門店というだけあって文庫の品切れの情報を把握しているからか全般に値段が高めである。何冊か欲しいものもあったが高いので断念。ただ柏木如亭の『詩本草』が300円だったのはめっけものであった。それから茅場町を過ぎ日本橋まで歩く。途上何軒か所在を調べた古本屋を探すも見つからず。日本橋紙の榛原に行く。これは先日神先生から紙は榛原と聞いてネットで調べたもの。有名な店らしいが今まで知らずにいた。名高い雁皮紙を買おうと思ったものの余りに高くて諦め、毛筆用の和紙の便箋と封筒を買う。何と荷風先生もここの紙を愛用していたらしく、斷腸亭日乘に使われた罫線入りの紙が復刻されて売られていたが、こちらも高いので買わず。普通の原稿用紙も満寿屋のものよりもかなり高い。それに見合う原稿料が取れる身分になり、かつ毛筆で原稿を書くようになってから愛用することにしよう。今は満寿屋で十分である。
榛原を出て日本橋を渡り三越とコレド宝町の辺りを歩き、「お江戸日本橋亭はどこですか」と聞いたら「コレド日本橋」に聞き間違えられるという一幕もあったが、何とか辿り着く。場所はわかったがまだ開場まで間があるので近くの喫茶店でコーヒーと軽食で時間をつぶす。五時半過ぎ再び日本橋亭に行き、2300円払って「文・藝・会」なる新内岡本派の会を聞く。「文・藝・会」とは文弥の藝を引き継ぐ会という程の意味らしい。宮之助師匠が文弥の手になる新曲二つを演じる。前後や合間に師匠は色々な話をしてくれる。文弥にまつわる話や演目についての解説が中心だが、今夜は先日亡くなった小沢昭一さんについても語った。小沢さんの師である正岡容と文弥師匠が親友の間柄だった関係で、そう親しい訳ではないがと前置きしての思い出話である。演目の今戸心中は言わずと知れた広津柳浪の小説をもとに作られた新内だが、柳浪は荷風が弟子入りした師でもある訳で文弥を中心に正岡―小沢昭一と柳浪―荷風というふたつの師弟関係が絡むのも興味深い。曲の方は音楽的にはもちろん新内の良さを受け継ぐ格好だが、やはり浄瑠璃のことばが現代に近い分だけだいぶわかりやすく聞き取りやすい。宮之助師匠の美声に聞き惚れるだけでも十分に楽しいのだが、中味がわかるに越したことはない。ただ、吉原の遊女や心中がテーマであるだけに新内的ではあっても文学的な深みがあるわけではない。その辺が、わたしがまだ新内を始める気になり切れないところかも知れない。それはまあ宮薗でも同じなのだし、一方文弥の新作にはこうしたもの以外を題材としたものもあるので、そういうものも聞いてから決めようかとも思っている。古典音楽と新作との関係についてわたしは今思うところがいろいろあって、それについては通信でじっくり書いてみたいと思っている。
八時終演となり出口で靴に履き替えようとしていると宮之助師匠が出てきて客のひとりひとりに挨拶を始めた。わたしを認めると他の客への「ありがとうございました」ではなく「いらっしゃい」と微笑み、「これから帰るんじゃあ大変でしょう」と言う。遠来であることを覚えていてくれたようだ。挨拶を交して日本橋亭を後にする。新日本橋から総武線を使ったので一時間ちょっとで帰ることができた。熱燗をつけて貰いぐい呑みを傾けつつ充実した一日の出来事を家人に語る。十一時過ぎ就寝。
念のため記しておくが、この日わたしは午後から半休をとっての行動である。さぼっていた訳ではない。