江戸・三絃・粋の道

古文書とオタク

一月十三日(土)晴 竹橋の毎日新聞社ビルにて早めの晝食をとり徒歩國立公文書館に赴く。三時半頃まで甲斐庄喜右衛門關連の多聞櫓文書を閲覧、撮影す。同文書に殘された甲斐庄に關するものはすべて閲し了はつた。歸り掛けに一階の企畫展「太田道灌と江戸」を見…

外堀の石垣

十二月二十八日(木)晴 昼で會社が終りになつたので午後江戸散策に出た。田町で電車を降り、慶應義塾の正門前を通つて綱坂を上る。文久三年(1863)にベアトが撮つた寫眞が殘つてゐるが、左右の景色は變はれど坂そのものは往時を偲ばせる。登り切つて正面のかん…

江戸日和

十二月十八日(月)晴 竹内正浩著『重ね地圖で讀み解く大名屋敷の謎』讀了。題名は好かぬ種類の本ながら、先日珍しく麹町の書店に立ち寄つた際手にして面白さうに見えて新本をそれも現金で購つたものである。江戸末期の地圖と現在の市街圖が重ね合せて見られる…

襲名

十二月三日(日)晴 夕方からホテルオークラに赴き、六代目竹本織太夫襲名を祝う会に出席。久しぶりに和服で行った。こういうパーティは苦手な方だが、織太夫になった咲甫太夫の友人でもあるT氏の誘いを受け、滅多にない機会ということもあり行くことにしたも…

逝く春

四月十九日(水)晴時々陰 葉桜に花の散る春の盛りはあつといふ間に過ぎ、暑さを傳へるニュースが喧しい。月曜のやうな曇つて風の暖かい晝休みなどほんの少し春らしさを感じたものの、春や秋の抜けた季節感はもの哀しさを覚えずにはゐられない。 今は戦時中の…

文と樂

三月二十八日(火)晴後陰後雨 新宿湘南ラインで恵比寿に出で徒歩東京都寫眞美術館に到る。十時開館前に既に長蛇の列あり。明らかに老人多く目當ては同じと知る。十時二十分から上映される映畫『冥途の飛脚』の入場券及び席の指定の列である。上映するホール…

浄瑠璃追善香席

二月十二日(日)晴 十一時より国立劇場にて文楽「平家女護島」を見る。近松名作集だが、他の世話物はすでに見ているので、今回初見のこちらを選んだ。やはり喜界が島の段が抜群に面白い。俊寛が取り残されるのを自らの意思に仕組んだ近松の脚色も巧みだが、そ…

彫刻と新内

三月二十七日(日)陰時々晴 久しぶりに着物で家人と外出。日暮里まで行き、朝倉彫塑舘を訪ねる。初めてだが彫刻のみならず書斎の天井までの書棚やその蔵書、池に石を配した庭、大小の和室の造作の工夫や飾り棚など見どころ多く、思ひの他面白かつた。入口で履…

新内鑑賞會

二月二十八日(日)晴 午前中茶乃湯稽古。季節外れなれど三月に嶺庵に客を呼ぶつもりなれば、炉のない嶺庵に合せて風炉を使つた桑小卓の点前を浚ふ。早めに晝餉を取り紀尾井ホールに向かふ。一時より新内鑑賞會。各派の出演にて古典あり新作ありで中々面白く聽…

文樂

二月十三日(土)晴 國立劇場に車で行き、文樂二月公演第二部を二時半から觀る。「桜鍔恨鮫鞘」鰻谷の段と八代豊竹嶋大夫引退披露狂言となる「関取千両幟」猪名川内より相撲場の段である。嶋大夫には万雷の拍手。相撲の取組や三絃の曲弾きもあつて樂しめた。ま…

江月と行倒れ淀君

二月六日(土)晴 朝有樂町に出で徒歩出光美術館に到る。「書の流儀」展を觀る。先日『魯山人書説』を讀んだせゐもあらうが、確かに一休や江月の書はよく、山陽や光悦は落ちる事が實感できた。今囘では浦上玉堂が思ひの他良かつた。光悦よりは乾山が好きで、松…

象山

三月二十日(金)陰 松本健一著『佐久間象山』上巻讀了。余は象山のフアンである。松代にも行つたし、京都妙心寺大法院の墓も訪ねた。木屋町の暗殺された邊りには何度も足を運んでゐる。京都の彼方此方の寺に殘る揮毫を見て其の書が氣に入りオークシヨンで象山…

豪邁なる人

一月二十五日(日)晴 竟に『伊澤蘭軒』讀了。蘭軒先生に敬意を持つに至つたのは勿論であるが、余が興味を持つたのは其の息の一人柏軒である。其の人となりを評するに豪邁なる言葉が何度か主に其の弟子によつて用ゐられてゐた。豪邁とは字引によれば「氣性が激…

奇遇の讀書

一月十一日(日)晴 『伊澤蘭軒』を讀む事久しく、漸く其の終盤に差し掛かつた。『頼山陽とその時代』を讀み繼いでゐた時分に、突如此の書を讀みたくなつて鷗外全集當該巻を買ひ求めた。無知とは恐ろしいもので、讀み始めて直ぐに、蘭軒と山陽、そして菅茶山の…

引用の仕方

一月十日(土)晴 鎌倉に買物に行く。靴を購ひ食品を買ひ古本屋に寄つて二冊を得る。御成町と小町通りにあつた古本屋二軒が無くなつてゐた。大船鎌倉周辺(に限らないのであらうが)は此処數年で古本屋がかなり減つてゐる。 藤田覚著『松平定信』讀了。老中在任…

山陽道

十二月二十八日(日)晴 やつとの事で『頼山陽とその時代』讀了。山陽に對するアレルギーは、余の世代は旧制高等学校出身のインテリに比すれば左程強いものではなかつた筈だが、其れでもご多分に漏れず尊王のイデオローグで悲憤慷慨調のわざとらしい文章家とい…

≪津山藩醫井岡道安とその時代 ― その三≫

四、儒醫をめぐつて 儒醫とは儒者にして醫者を兼ねる者なのであらうと単純に考へてゐた。たとへば、辯護士の資格と醫師免許の兩方を持つ人と同じやうなものと思つてゐたのである。ところが、調べ始めてすぐにさう簡単なものではないことがわかつてきた。司法…

三味線三昧

十一月十三日(木)晴 夕刻着物を着て豪徳寺に至る。七時より本樓にて松岡正剛先生プロデュースの『三味三昧』を聴く。本條秀太郎師の三味線の會である。一昨年の春秀太郎師の三味線の音色に出會つて以來、余の邦樂觀は一變し江戸に遊ぶ心持ちの樂しきを知るに…

足萎

十一月五日(水)陰 『伊澤蘭軒』を讀む事日課の如し。その七十一に至る。蘭軒三十有余歳にして足疾を得、後に兩脚全く廢するに至るを知る。余は肩疾に苦しみ筆硯や竹音を稍遠避けざるを得ず、専ら讀書に勤しむ日々であるが、脚は到つて頑健である。歩行の困難…

一讀瞠目

十一月二十一日(木)晴 前田愛著『成島柳北』讀了。今まで此の著者の力量を見誤りてゐたり。忸怩たる思ひを禁じ得ず。柳北その人とその生きた時代を活寫する洞察と考証、正に瞠目すべきものあり。柳北を知るのみならず、初めて前田愛を知る。早速同氏著『幕末…

茶事、新内とおでん

十月十九日(土)陰時々雨 此の日は着物にて出掛ける予定なるも天氣豫報頻りに雨を告げれば、迷つた末竟に洋服にて出づ。九時半町田の家人の實家に行き、まづ余が中置の点前で薄茶を点て、門人來りて稽古の間余は学会誌の原稿校正を為す。また、午前中呉服屋の…

邦楽と木石花

三月二十三日(土)晴後陰 初めて東横線からそのまま副都心線に乗り入れ西早稲田で降り、徒歩一如庵に赴く。徒歩二十分ほどかかるが、それでも今までの行き方よりも早い。今後はこの行き方にしようと思う。十一時より尺八稽古。十二時辞していつもの夏目坂の吉…

文樂三樹夫

二月十七日(日)陰 九時前家人と家を出で半蔵門國立劇場に往く。十一時より文樂二月公演。第一部の『摂州合邦辻』万代池の段、合邦庵室の段を観る。説経節俊徳丸を下敷きにするも主眼は玉手姫と合邦親子に移り、説経節の持つ素朴ながら情念の底を感じさせる筋…

元禄文化

二月十四日(木)晴後陰 守屋毅著『元禄文化』讀了。此の人の著作は嘗て『京の藝能−王朝から維新まで』(中公新書)を讀んで、獨自の視點と明快なパースペクテイブの提示に感心して以來であるが今囘も為になつた。多少圖式的な処はあるが、「遊藝」「悪所」「芝…

感想ふたつ

一月二十六日(土)晴 桜木町にて映画『東京家族』を見る。言わずと知れた、小津作品『東京物語』の山田洋次監督によるリメイクである。時代は現代、それも2012年の設定で、家族構成や状況の多少の変化はあるが基本的には同じ。まあ、見る前から小津安二郎…

三昧

癸巳 元旦 晴 八時起床。元旦恒例の坐禅、読経の後各々今年の抱負為すべき事を半紙一枚に認む。それからおせち料理を食べ、年賀状を見る。食後在所の氏神である神明社に詣づ。 此の日は朝食時と夕刻から夜にかけて音楽を多く聴いた。まづは新年を寿ぐ如道先…

平岡的 

十二月二十九日(土)晴後陰 平岡正明『浪曲的』読了。う〜む、参りやした。平岡の兄イ、お見それしておりやした。お見事な筆さばきでござんす。遅ればせながら、はばかり、このあっしを子分の末席に加えてやっちゃあくれませんか。お願えいたしやす…とまあ…

雲右衛門

十二月二十五日(火)晴 兵藤裕己著『の国民国家−浪花節が創る日本近代』読了。この人の本は初めて読んだが、とても面白かった。浪花節の来歴や日本芸能史の中での位置づけ、桃中軒雲右衛門について、わたしの知りたかったことをおおよそ教えて貰っただけでな…

雨瀟瀟

十二月二十一日(金)陰 昨夜草森伸一著『荷風の永代橋』讀了。續けて荷風「雨瀟瀟」を讀む。薗八節についての言及があるので有名だが、要するに妾宅に纏はる身辺雑記にも似た小品である。この作品の収められた新潮文庫は架蔵してゐるが、新字新仮名であるのと…

清澄永代橋今戸心中

十二月十二日(水)晴 今日からしばらく口語に近い文体に戻すことにする。漢字送り仮名も当用を使う。と言うのも発行の遅れている飄眇亭通信を書くのに、少し通常の文体に戻すための慣れが必要だと思えてきたからである。この日乗の文体で書くことに余りに慣れ…