逝く春

四月十九日(水)晴時々陰
葉桜に花の散る春の盛りはあつといふ間に過ぎ、暑さを傳へるニュースが喧しい。月曜のやうな曇つて風の暖かい晝休みなどほんの少し春らしさを感じたものの、春や秋の抜けた季節感はもの哀しさを覚えずにはゐられない。
今は戦時中の國家總動員法に基づく工場管理令や軍需會社について調べてゐる。軍監督工場と軍管理工場の違ひをやつと理解できた。監督工場には監督官や會計監督官が派遣され、管理工場には監理官が常駐する。監理官の方が現場での権限が強い。要するに、監督工場、管理工場、軍需會社の順に軍の統制管理が厳しくなるのである。軍需品生産における軍の管理に加へ、業種別の工業統制會による統制や、原材料の輸入や製品の輸出を統括する交易営團の他、場合によっては軍工業會による統制を受けるのであるから、昭和十八・九年以降の製造業の企業活動の困難さは想像に餘るものがある。化学工業や香料産業に關連する統制會の実情の解明も、それに引き續く探求テーマである。
一方で、戦後の軍關係施設や土地の民需轉換も別の研究テーマである。復員省と大蔵省國有財産部、そしてGHQが絡む。今話題の國有財産部はそもそも戰後になつて軍の土地設備を処分するために作られた部署であり、軍需から民需へと移したい政府と賠償問題もあつてさう簡單には許可できない占領軍の間にあつて、戰災等で生産設備を失つた民間企業が如何に上手く拂ひ下げて貰ふか、戰後の混乱期にあつてそれは中々のドラマを生んだもののやうである。ほんの少しのタイミングの違ひで、許可されたりずつと放置されたり。その背後には勿論占領軍の對日政策の變化があり、世界情勢の激動があつた。
ところで最近は毎晩武智鐵二『古典は消えて行く、されど…』のCDを聽いて過ごしてゐる。武智セレクトの名人藝の主にSP版のレコード音源をCD化したものが20枚附いて13660円は破格の安さである。義太夫と歌舞伎を中心に、長唄地唄、河東節から浪花節、漫才落語まで、明治末から大正昭和に録音された、日本の音曲話藝の傑作集である。神先生に薦められて購入したので期待はしてゐたものの予想を遥かに上回る名人藝揃ひであつた。まだ全部を聽いた譯ではないが、とにかく聽いてゐて樂しいものばかりなのである。まず一枚目の鶴澤道八の三味線に心底驚かされた。此処數年、毎年三・四囘は三宅坂の國立劇場に足を運んで文樂を觀て來たが、道八を聽いてしまふと半蔵門のあれは何だつたのかと思ふ程何もかもが違ふのである。武智が音痴として餘り認めてゐない四世大隅大夫の浄瑠璃も、余には極めて心地よく聞こえる。こんなに樂しい義太夫は聽いた事がないといふのが正直な感想である。戻橋の常磐津、幸四郎の口舌、土蜘蛛の羽左衛門の科白回し、それらがとにかく耳に心地よい。江戸の名残の藝とは斯くばかりであつたかと思はせる至藝の數々…。當分樂しめさうである。此のCD集はむしろ邦樂を聞いた事のない人に薦めたい。最初にこれ等を聽けばきつと邦樂を好きになるのではないかと思ふからである。ただ、今の世の藝を聽いてがつかりする可能性はあるが、まづ最初に良いものに出會ふに越したことはなからう。