2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

絽の着物

六月三十日(土)晴後陰 午前中車の六か月点検に行つた後N子の実家に往き午後は茶の湯。濡れ茶巾の点前を前回に続き三回ほど稽古。夕方越後屋さんが余の絽の着物と帯を持ち來る。絽の長着、麻の長襦袢とも反物で見たときより遥かに粋にて嬉しくなる。しかも…

終戦間際

六月二十八日(木)晴後陰後雨 清沢洌『暗黒日記』読了。細川日記に登場する人々も出て來るし、清沢が近衞文麿に会つたことも書いてあつて興味深く読む。ただし、解説で清沢が終戦直前の五月に肺炎で死んだ事を初めて知り、戦後日本の復興にとつてあたら惜しい…

或るヒント

六月二十七日(水) 定時退社後品川に赴く。いつもの店にて異臭関係者の飲み会。今回は某大手自動車メーカー研究員I氏と知己を得る。同社は既に嗅覚受容体の研究にも着手せしと云ふ。香料会社ではなく、自動車製造会社である。寡聞にして余の務める会社にて…

帰還

六月二十五日(月) 余の五十一回目の誕生日也。六時起床。最後の谷地頭温泉を愉しんだ後帰り支度を為す。殆ど住み慣れた家のやうに感ずるものの、約一週間の滞在は瞬く間に過ぎぬ。九時前伯母來り。鍵を返却して別れを告げ、タクシーにて一度和田魚店に立ち…

温泉三昧

六月二十四日(日)陰 朝七時起床。昨日いつもより沢山酒を飲んだ筈なのに宿酔頭痛なし。蓋し楽しくストレス無き酒席なればならむ。散歩に出で善知鳥神社に赴く。駅前通りを戻りパンを買つて部屋に戻り朝食と為す。九時前チエツクアウトをして再びアスパムに行…

青函連絡

六月二十三日(土)陰時々雨 六時起床。直ぐに三人で谷地頭温泉に行き、帰つて軽い朝食。Iさんは別業からの眺望も此の温泉も気に入つたやうで、楽しんで貰へたのは何よりである。また横浜の拙宅に此の秋にでも是非來たいとのことで、此れも楽しみである。知人…

函館満喫

六月二十二日(金)陰後晴後小雨 朝六時起床。やつと雨止む。虎杖浜のタラコとたまふくら納豆の朝食。七時頃谷地頭温泉に行き入浴する事日課の如し。別業に戻り珈琲を淹れてカツプを持ちて茶室に行き、雨が止みたれば風通しの為窓を全開にして珈琲を啜りつつ朝…

雨蕭蕭

六月二十一日(木)雨 雨止まず。六時半過ぎ起床、七時過ぎ歩いて谷地頭温泉に行き入浴。昨日は知らずに入らなかつた露天風呂にも浸かる。一旦家に戻り、朝食をとり、珈琲をのみながら少し明るくなつた海を眺めてのんびりしてゐたら十一時過ぎになつたので出掛…

雨の函館

六月二十日(水)雨 朝はゆつくり起き、テレビで颱風被害の様子を知る。朝食後歩いて五分程の市営谷地頭温泉に行き入浴。湯は熱めで余の好みに合ひ、平日の十時過ぎといふこともあつてか人も少なくのんびり湯に浸かるには中々良い温泉である。一度家に戻り、寒…

颱風直前

六月十九日(火)陰後雨 旅の支度を整へ昼前家を出づ。電車にて羽田空港に至る。颱風の影響にて西南方面は既に運航見合せもあるやうなるも、函館行は定刻通りに出発。三時四十分函館空港に着陸。バスにて市内に。駅前に到り、周辺の寂れたることに驚く。余嘗て…

茶の日

六月十七日(日)陰時々晴 岳母の社中にて終日茶の湯。稽古以外の来訪者も多く、赤ん坊ふたりを含む三組の夫婦來る。いづれも夫婦のどちらかが茶を習ふが、岳母のもてなしと美味しい食事に釣られて多くの人がやつて來るのである。又、呉服商の越後屋さんが絽の…

竹の友

六月十六日(土)雨 九時に家を出で十一時より一如庵にて尺八稽古。其の後早稲田通りの古書肆を巡り三冊程購ひ、つけ麺を食したる後学生会館地下のホールにて竹友会演奏会を聴く。続けて開かれたるOBによる演奏も聞く。余は外曲は殆ど練習せず、また一尺八寸…

諂ふ人々

六月十五日(金)晴後陰 本日はN子の誕生日なれば退社後藤沢にて倶に外食を為す。 『細川日記』下巻読了。昭和二十年になつてからの緊迫感は胸に迫るものあり。敗戦前の混迷と危機的状況を読む限り、八月十五日以降に我々の知るやうな推移になりたることは不…

余の軍歴

六月十四日(木)晴 余の務める会社を戦前の日本に見立て、フレグランスを海軍、フレーバーを陸軍と見ると面白いと思ふ。海軍は日本海海戦における華々しい勝利の記憶から脱し得ぬまま世界の潮流に遅れ、又エリート意識と海外かぶれによつて陸軍や国民から不評…

世捨て人

六月十三日(水)陰、寒し 考へてみるとテレビと新聞といふ伝統的なマス・メデイアを廃して久しく、一方で顔本もつぶやき人もやらないから今風のコミユニケーシヨンにも無縁の生活である。世間に背を向けて生きてゐると、要するにイノベーシヨンもITも何処吹…

細川日記

六月十二日(火)雨 『細川日記』上巻読了。近衞文麿と木戸幸一、高松宮の間に入つて、軍人や政治家、外交官、ジヤーナリスト等と連絡を取り合ひながら、東條内閣打倒の画策に奔走する、若き日の細川護貞の苦闘の日々。天皇の発言や宮家の動きなど、当時の状況…

PC交換

六月十一日(月) 出社。帰宅後N子と車でヤマデンに行き、先日購入せしPCを交換してもらふ。店員に相談して買ひ求めたるにも関らず、希望せし必須の機能が備はらざる事が判明したれば持ち來たるに、先方は直ぐに店側の非を認め詫びを入れて代替の機種を選ぶ…

日本画と香

六月十日(日)晴後雨後陰 午前中衣更へと暖房器具など冬のものの片付を行ふ。其れでもまだ完全には夏の生活へと切り替へが済まず、来週以降に持ち越し。昼食後N子と倶に東横線経由で恵比寿に出で、徒歩山種美術館に到り福田平八郎展を観る。綺麗な色であり、…

温故知新

六月九日(土)雨 八時過ぎ家を出で十時より戸山町一如庵にて尺八稽古。越後三谷を続ける。稽古後先日の京都で見た竹勇銘の尺八の事をお聞きすると、令先生に聞けばいいといふことで其の場で話すに、令先生も竹勇作の竹を持つてをり律がしつかりしてゐて悪くな…

山形往還

六月九日(金)晴後陰、暑し 日帰り出張で山形の赤湯まで往復。山形は何故かさまざまな縁があつて子どもの頃から何度も訪ねてゐて、二度目の結婚の際のささやかな新婚旅行で訪ねた地でもあり、とにかく懐かしい。様々な思ひ出が蘇つて複雑な気分にもなるのだが…

余の一日

六月七日 朝は六時四十五分に起きる。まず寝室の窓を開けて空気を入れ換へ用をたしてから着替を持つて洗面所に行く。顔を洗ひコンタクトレンズを着け、日によつては髭を整へてから、スクワツトと腹筋を使つた呼吸法をやつて裸になり体重を量る。数値をN子に…

稽古と運動

六月六日(水)雨後陰 定時退社。帰宅後八時まで尺八稽古。大和樂、松風、普大寺虚空、布袋軒鈴慕、通り・門付け・鉢返し、越後三谷二回を吹く。良い音を聴いて來たせゐか珍しくよく音が出てゐた。夕食後久しぶりにジムに行き汗を流す。家に戻り今日工事に來た…

枯山水・茶室・三門

六月五日(火)陰 七時半起床。九時前ホテルを出で地下鉄にて蹴上に到り、徒歩南禅寺に向かふ。金地院を初めて拝観。今まで南禅寺は何度となく訪ねてゐるし、隣の天授庵などは数回拝観してゐるのに、何故か不覚にも此処は訪ねずにゐた。今回偶々僅かの時間を得…

地なし尺八

六月四日(月)晴後陰 十時にホテルを出で歩いて京都芸術センターに赴く。思つてゐたよりも近く、徒歩五・六分の距離であつた。明倫小学校の古い校舎を其の儘利用したノスタルジツクな多目的施設にて、まずは尺八の展示即売会場に足を運ぶ。二尺一寸管が欲しく…

京尺八

六月三日(日)晴後陰 九時前の新幹線にて新横浜から京都へ移動。地下鉄烏丸御池駅近くのホテルに荷物を預け、烏丸通りを北上し夷川通りを東に歩く。建具屋家具屋陶器屋などが並ぶ好きな通りである。寺町通りに近い処にある和次元滴屋といふ男着物の店に入り、…

呈茶席

六月二日(土)晴後陰 着物を着けN子と車で家を出で、根岸駅にて岳母とI先生を乗せて三渓園に赴く。準備・練習の後望塔亭にて呈茶席に参ず。四時までの間に百人以上の客に薄茶を出す。余は立礼席での点前を十回近くやり、手順や所作をかなり習得す。点前の様…

文隆の書と「本の自叙伝」

六月朔日(金)晴後陰一時雨 昨夜『近衞家の太平洋戦争』(近衞忠大著NHK出版2004)読了。昭和十年代から戦後にかけての近衞家と米中ソを中心とした世界各国との関はりを概観するに資する処あり。ただ、NHK的な優等生主義によるのか、また忠大氏にとりて身…