茶の日

六月十七日(日)陰時々晴
岳母の社中にて終日茶の湯。稽古以外の来訪者も多く、赤ん坊ふたりを含む三組の夫婦來る。いづれも夫婦のどちらかが茶を習ふが、岳母のもてなしと美味しい食事に釣られて多くの人がやつて來るのである。又、呉服商越後屋さんが絽の反物を持ち來たり、余の夏物の着物を誂へることになる。大方は夕方には帰りたるも、I夫妻は夕食を倶にすることになりたれば、食事の調ふまでの時間を利用し、余が尺八を吹く。大和樂、松風、越後三谷、普大寺虚空を吹く。I氏は商社勤務にてロンドンに五年程駐在の後最近帰国したるものと云ふ。I夫人が渡英前より岳母に茶の湯を習ふ縁なり。尺八古典本曲は初めて聴く由にて、余の拙き演奏ながら感銘を受けたる様子也。八時半辞して帰宅。
帰ると携帯電話にメールあり。見るに中学の同窓会の予定ありとて現住所の確認を求めしもの也。送り主は小学校の同級生で中学も一緒の友人にて、小六のクラス会は今まで度々開かれ気心も知れたる仲なれど、中学は卒業後三十五年になるも、一度もかかる会に出たることなし。日乘の夢日記にも出て來る徳田には会ひたしと思へど來るやも知れず、同級にて付合ひの今に至る友はひとりも居らず。十月開催とのことなれど、出席するか否かを未だ決し得ず。蓋し中学時代といふのは余にとりて最暗黒の日々なればにや、常日頃思ひ出すこともなく過ごしつるに、突如この報せに接して感慨少なからず。世上、最近は顔本などにより古き同窓の連絡絶へたる者同士が伝手を得て集ひ、旧来の友人関係を復活させる動き多しと聞くも、中学時代の友人に関して余はさうした友誼再開の興味なし。当時目立たぬ生徒たりし余の、其の後の変転大なりと雖も、今頃になりて何かはせん。寧ろ古傷に触られたるやうな痛し痒しを覚ゆるのみ。