颱風直前

六月十九日(火)陰後雨
旅の支度を整へ昼前家を出づ。電車にて羽田空港に至る。颱風の影響にて西南方面は既に運航見合せもあるやうなるも、函館行は定刻通りに出発。三時四十分函館空港に着陸。バスにて市内に。駅前に到り、周辺の寂れたることに驚く。余嘗て二十七年前の夏、御巣鷹山の痛ましい事故の翌日青函連絡船より函館の地に足を踏み入れたることありしが、その際当時函館の実家に戻つてゐた竹友会先輩のS美さんと待合せをした和光辺りは人も多く繁華な街角たりし記憶あれど、今見れば新開地に佇立するチンケなビルに過ぎず。思ひ出の美化作用によるか、実際に四半世紀以上の時が斯くも無残なる変化を起こしたるか、悄然と見送る已。あの夏S美さんと過ごした美しい思ひ出も遙か遠くに霞むやう也。
ベイエリアにてバスを降り徒歩、元町はハリストス教会にも近きN子の伯母の家に到る。余は初見なれば挨拶を交し、一茶の後タクシーにて谷地頭にある其の伯母の別業に移動。此処に一週間程余とN子が滞在させて貰ふのである。別業は山の中腹にあり、函館市街及び東側の海岸を望み、晴れてゐれば対岸にある函館空港に飛行機が発着する様も見えるといふ絶好の立地である。しかも、離れに茶室もあつて見れば成程凝つた小間にて、滞在中に是非茶を点てたしと思ふ。
六時過ぎ三人にて徒歩市街に出で、和風居酒屋にて食事。烏賊、コマイ等の炭火焼旨し。伯母は函館中央病院にて婦長を務めし人にて、先年伴侶を亡くし今は元町の家にひとり住まひとのこと。流石に看護婦らしくはきはきとはつきりした人にて、歓談に時を過ごす。八時半過ぎ店を出づるに既に雨降り始めたれば、傘を持たぬ伯母を元町の家まで送り、余等はタクシーにて谷地頭に戻る。颱風情報をテレビにて確認した後、伯母より拝借せし五稜郭に再建されし函館奉行所の建設過程を記録したDVDを見る。細部に至るまで当時の素材や技法の再現に拘り、日本各地の職人の技を結集したるものにて、素晴らしいの一語に尽きる。まだ幕末の大建築の伝統を再現できる職人が存することや、かうした計画をぶれずに敢行したし函館市の快挙に感動す。無計画な美術館などに下らぬ建築家の珍奇な建造物を立てて予算を浪費するより、、職人の技を伝承させる機会ともなり、美しい建築物を後の時代に伝へることにもなる斯くの如き事業は、全く以て賛同しまた応援したいものである。十一時過ぎ就寝。