2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

景清

四月三十日(月)陰 着物にて十時に家を出で、途中軽い昼食などとつた後十二時半渋谷松濤の観世能楽堂に赴く。ロビーにすでにN子の知人S氏夫妻の姿あり。今回の観劇はS氏が余ら夫婦の結婚を祝ひ、懇意にしてゐる観世流の能公演のチケツトを贈られしものにて…

炉仕舞

四月二十九日(日)晴 昼過ぎ車にてN子の実家に赴く。次回より風炉なれば炉の最後にてN子による炭点前を皆で見た後全員で昼食をとり、其の後稽古を続く。今日は生徒がN子と余の他は五人程にて順番に楽しく稽古を為す。濃茶では味噌餡の絶品の柏餅にて一茶を…

萌緑濡れるが如し

四月二十八日(土)快晴 八時半ホテルをチエツクアウトして荷物を預けてから山陰線にて花園まで行き徒歩法金剛院に至る。九時過ぎやつと門が開き拝観。余は庭を目当てに行くも、京に珍しき律宗寺院なるが故に財政厳しいものか庭はやや荒れて写真で見る程は美し…

東福寺伏見宇治―新緑に酔ふ

四月二十七日(金)快晴 昨日までの雨混じりの曇天が噓のやうに雲ひとつない晴切つた空也。九時前ホテルを出でるも京都駅で奈良線の電車一本乗り遅れたところ二十分近く待たされる。乗つて三分のところに二十分待たされるは苦痛にて、出鼻を挫かれたるやうな気…

達磨龍田中宮

四月二十六日(木)陰時々雨 九時前徒歩にて大阪支店に赴き、営業M氏の運転にて出発。約束は午後なれば途上にある寺社を訪ねることとし、まず達磨寺に向かふ。聖徳太子に纏はる伝説を伝ふる寺にて、一旦廃絶後再興されしものにて今はさしたる見どころなし。藤…

出張

四月二十五日(水)晴 午前中新幹線にて大阪に移動。其の間携帯電話にてメジヤーリーグのヤンキース対レンジヤース戦の速報を追ふ。ダルビツシユの投げたテキサスが勝つ。今回は無得点に抑へ三勝目。決して悪くない出だしであらう。午後得意先二社を回りプレゼ…

中宮彰子

四月二十四日(火)晴後陰 定時退社。帰宅後尺八練習。大和樂、松風、越後三谷三回、布袋軒鈴慕、阿字観を吹く。夕食後『紫式部日記』読了。但し、角川ソフイア文庫のビギナーズクラシツクスといふシリーズで、現代語訳がついてゐる上全文ではないのだが、説明…

日曜日

四月二十二日(日)陰後雨 終日家に在り。久しぶりに出かけることのない休日である。ゆつくり目に起床してグレングールドのバツハを聴きながら朝食をとり、午前中は日乘を更新し、旅行計画を立て珈琲を注文。昼食の後さつと茶花と立花を生け、其れから嶺庵に籠…

茶道楽

四月二十一日(土)陰 十一時にN子の実家に到着。岳母の社中のお稽古である。人が多いので一度薄茶を喫しただけで一時前昼食となり、午後は若い女性たちに交じつて札を引いて役割を決めて遊ぶ花月といふ稽古をやる。幸ひ点前も正客にも当たらずただ濃茶と薄茶…

水と生きる

四月二十日(金)陰 相変はらず肌寒き一日也。来週の出張の準備を為し定時退社。帰途書道用具店に立ち寄り色紙半紙等購ふ。値二千八百円となり、おまけに便箋を貰ふ。帰宅後尺八練習。夕食後後頭部及び頸部が凝つてゐたのでN子にマツサージして貰つた後嶺庵に…

後水尾院

四月十九日(木)晴 熊倉功夫著『後水尾天皇』読了。徳川家との軋轢、寛永期の文化人たちとの交流、修学院離宮造営のいきさつなど興味深く読む。茶の湯や立花に対する傾倒など室町期の伏見宮貞成親王の『看聞日記』を彷彿とさせるが、其処に後鳥羽院を思はせる…

今年の連休

四月十八日(水)晴後陰 四月も半ばを過ぎ黄金週間が近づいて、何かと浮き足だつ時期になつた。今年は連休の初めに二・三日京都で過ごす他は、都内で能をみるくらゐで後はずつと家に居るつもりである。出歩く金がないせゐもあるが、仕上げなければならない原稿…

桜のあと

四月十七日(火)陰時々雨 朝晩歩を進める際に今までならぱつと明るいさくら色の梢にと目先が上向きになるのを、桜が散りはじめていつもとほりの目線に戾つてみると、木々の足もとにはいつの間にか雑草やら春の野花が咲き誇り、おやと思つて見廻せば桜の他の樹…

海の栓

四月十六日(月)晴 海辺の辺鄙な村である。村役場が海上に作られた大きな浮島の上にあり、始終波に揺られてゐる。しばらくしてひときは大きな波が打ち寄せると島全体が大きく傾いて人が何人も海に落ちてしまふ。しかも、近くを通つてゐた中型の客船もひつくり…

音論芸談

四月十五日(日)晴、昨日よりは暖かきものの夜になりて寒し 十時半過ぎ有楽町に着き、大江戸骨董市を見て歩く。房紐を二つ購ひ、また龍村織物の敷き布を求めし他は結局何も買はず。水滴や茶入れに見るべきものあれど予算に合はず断念。昼食をとつた後十二時半…

三谷と経営

四月十四日(土)雨、寒し いつも通り起床し、八時に家を出づ。東海道、東横線、地下鉄を乗り継ぎ早稲田に至る。早く着きたれば一茶を喫した後一如庵に赴き、十時より稽古。大和樂、布袋軒三谷、布袋軒鈴慕の後越後三谷を初めて全曲通しで吹くも、まるで形にな…

旧字旧仮名

四月十三日(金)晴後陰 『私の國語教室』を読んでゐて、歴史的仮名遣ひに対する理解を深めると同時に、余も今まで此の日乘でも誤つた表記をしてゐたもののあることに気づかされた。しかし、福田先生も、此の対現代仮名遣ひといふ問題に取り組むまでは無智によ…

今年の桜

四月十二日(木)晴 家から駅に向かふ川沿ひの道に並ぶ桜はまだ散らずにゐて朝晩目を楽しませてくれる。今年は開花が遅れると思つてゐたら、大風の吹いた後に急に開いたせゐか思ひの他花持ちがよくていつもの年より長く満開が続いてゐるやうである。散り始め…

洌と冽

四月十一日(水)陰時々雨 余は俳号を幾つか持つてゐるが、其の中に「冽仙」といふものがある。松岡正剛先生から頂戴した俳号だが、松岡先生直筆の命名書は勿論毛筆であるから冽の字の偏がつながつてゐて二水だか三水だか判然としない。漢和辞典を見ると「冽」…

逆行

四月十日(火)晴 今朝から突如腰痛に苦しむ。肩、腰、膝と全身ガタが來てをりジムにも往けず。其の為体重が増え危険水域に入りかけてゐるので今日から粗食を心掛けやうと思ふ。定時退社し、腰痛の為常より時間が掛るもいつもの電車に何とか間に合ふ。帰宅後直…

彼誰観桜会

四月八日(日)晴 十時半起床。午前中先日京都で購ひし色紙掛けを探すも見つからず。さうかうするうち一時前来客あり。彼誰同人のF氏とO氏の二人也。すぐに折畳み椅子などを持ちて近くのいたち川辺に移り、花見の宴を始む。晴れて陽光降り注ぐも風強く思ひの…

桜、三谷、三味線

四月七日(土)晴 七時半起床。九時家を出で十一時より一如庵にて尺八稽古。大和樂、布袋軒三谷を吹いた後、先生の二尺一寸管を拝借して初めて越後三谷に入る。難しいが名曲であり、まともに吹けるやう精進したい。正午前辞して早稲田駅に戻り、N子と合流し神…

日々澹澹

四月六日(金)陰 過ぎ去つた日々の鮮明な記憶が突然蘇ることがある。喜びの記憶、あんなに嬉しかつたことはないといふ思ひ、其れが失はれて二度と戻らぬことへの哀惜と悔恨。渦巻く川の流れの中でからうじて立ち尽くしてゐるやうな、心細さとやる瀬なさを覚え…

DL嫌ひ

余はデイズニーランドが嫌ひである。所謂デイズニー的なるものに虫唾が走る。幼稚園児ならともかく、いい大人がミツキーだのドナルドなどに群がることに嫌悪感しか覚えない。そもそも、あそこには偽物しかない。贋の城に作りものの動物、木や草や石も人造品…

副作用とすぐれもの

四月五日(木)晴 体調の悪さはやはり花粉症の薬「アレグラ」の副作用によるものであるやうだ。ネツトで調べてみると、副作用として挙げられてゐる頭痛、眠気、吐き気、眩暈、肝機能低下、すべてが当て嵌まる。毎年此の時期服用し、同じく毎度かういふ症状が出…

体調不良

四月四日(水)晴 体調が悪い。首筋から後頭部にかけた鈍痛と生あくび、吐き気と眩暈が主な症状である。此処数年四月には必ずかうなる。昨年の四月九日にもほぼ似たやうな状態にあることを此の日乘にも書いてゐる。毎年CTなどの検査を受けるが何も異常は見つ…

強風下好判断

四月三日(火)晴後暴風雨 昼食をとつてゐると雨が降り始め、三日酔ひの頭痛も僅かに残りたれば交通機関の乱れを慮り、即座に半休を取りて帰宅することを決意。一時過ぎまだ雨も降り始めの頃帰宅。間もなく友人と昼食を取りに出てゐたN子も帰宅。夕刻珈琲が飲…

新年度

四月二日(月)晴 部署の朝礼があり、前年度、余の属する部門が中期計画目標を達成し過去最高の売上高になつたといふ。転入者の挨拶あり。大阪支店から来たK氏とは古きつき合ひにて、此の夜倶に食事に出ることとす。されど昨日来の宿酔により体調優れず、終日…

酩酊

四月一日(日)晴 七時半起床し、朝食入浴の後午前中は書斎にて雑事。昼過ぎ義理の妹夫婦来訪。義妹のK子は既に何度か来てゐるが、其の夫のM氏は初めてなれば書斎飄眇亭と嶺庵を案内す。其の後リビングにて会食。義弟は甲子園夏の大会の優勝ビツチヤーにして…