後水尾院

四月十九日(木)晴
熊倉功夫著『後水尾天皇』読了。徳川家との軋轢、寛永期の文化人たちとの交流、修学院離宮造営のいきさつなど興味深く読む。茶の湯や立花に対する傾倒など室町期の伏見宮貞成親王の『看聞日記』を彷彿とさせるが、其処に後鳥羽院を思はせる歌學への執心も加はり、さらに儒学や禅にまで興味の幅を拡げるといふ、尋常ならざる天皇上皇であつたことがよく理解できた。また、京都には東福門院、即ち徳川秀忠の娘和子に纏はる寺院や事績が多いが、和子と其の夫後水尾院との晩年の和合を知つて、先年光明寺で見た東福門院の彫像のふくよかな美しさを何やらほつとするやうな気持ちで思ひ起こすことができた。鎌倉時代初期の後鳥羽院と江戸初期の後水尾院に何やら似たものを感ずるのも興味深いが、先の伏見宮にしても室町幕府との関はりは深いから、武家といふ異文化と出会ふことによつて進化・深化を遂げる、宮廷文化独特の文化エネルギーのやうなものがあるのかも知れない。この本は1982年初版のものが1994年に岩波同時代ライブラリーに収められたものだが、余にとりては全く古さを感じさせぬ内容で、琳派の揺籃期の時代背景を知るにも実に教へられるところの多い好著である。