2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

史傳

十月三十日(木)陰 此の日鷗外全集の『伊澤蘭軒』届き早速讀み始む。『木村蒹葭堂のサロン』に續き大部の書冊なるも、同書及び現在通勤時に讀み進めてゐる『頼山陽とその時代』に於いて馴染の人名が早くも散見して舊知の人々と再會してゐるやうな懐かしさがあ…

盗車

十月二十三日(木)雨後陰 友人の西村が良いところに連れて行つてやるといふのでついて行く。どうやらキヤバクラらしいのだが、店は道路に面して開放されてゐて中もやけに明るい。入ると客は皆静かに本を讀んでゐる。女性客もゐて、いはゆるキヤバ嬢は飲み物を…

歓談

十月二十二日(水)雨 夕刻四谷に赴き、六時半より業界の大先輩N氏Y氏と倶に坂町の楓庵に飲む。牡蠣等の料理と酒に歓談數時間、再びN先輩のご馳走になる。三人にて飲むは二度目なれど業界内外の話題百出、樂しい時間を過ごし、再び會ふ事を約して十時前四谷…

その2

十月二十一日(火)雨後陰 《津山藩医井岡道安とその時代 ― その一の二 》二、井岡道安との出会い そこでまず、わたしが井岡道安の名に初めて出会ういきさつから始めることにしよう。 今年(二〇一四)の六月、会社が所有する香木や香道の道具について詳しく調べ…

再び通信

十月二十日(月)余の個人誌からまづ一囘分。《津山藩医井岡道安とその時代 ― その一 》 一、 はじめに これからこの誌上でわたしが書かうとしてゐる事がらは、内容から考へて、今までわたしが書いて來た多くの話題以上に、讀み手の興味を引く可能性の低いもの…

ノートを捨てる

十月十九日(日)晴 昨日に續き衣更へと書斎の片付を為す。衣類を大量に捨て、又文書やノートといつた紙類も大量に捨てる事とす。學生時代のノートも今までは大事に持つてゐたのだが、流石に無用と思はれるものも多く、竟に廃棄を決意した。又其の後に自分の興…

槍持ち

十月十七日(金)晴 蹴球の試合をする為に、日本代表の若手が運轉する車に乘り、河川敷を大迂回して着いたところは料亭風の建物である。初老の小柄な主人が背広姿で出迎へてくれ、余と家人を中に通すと成程ご馳走がたくさん出て來る。其の後余は遂に試合に出る…

勉強

十月十五日(水)陰後雨 昨日より古文書解讀の勉強を始める。讀みたい古文書があるのに、今までのやうな遣り方では歯が立たない事がわかつたので、遠廻りでも一から學んだ方が早いと思つたのである。自分の興味と關係ない文書でも、江戸期のものであれば時代の…

天徳寺吉祥寺

十月十一日(土)晴 午前家人の通院に付合ひ神田和泉町に赴く。其の後地下鐡にて神谷町に至る。徒歩天徳寺を訪れ、津山松平家藩主の墓を掃はんとするも見つからず。問へば昭和初期に改葬されしと云ふ。歴史書の多くは其の事を伝へず、當初の墓所のみ記す為に無…

今どきの小學校

十月八日(水)晴後陰 やり殘した學期があるといふことで、三學期だけ三鷹市立第一小學校に編入することになつた。場所は昔と變はらないが校舎は新しくなつてゐる。校門には新學期のせゐかたくさん人がゐてお祭り騒ぎである。外人の母親らしき姿もちらほら見え…

煎茶五流

十月五日(日)陰後雨 昨日に續いて着物を着て九時前宿を出る。驛ビルにて晝食を購ひて後、徒歩渉成園枳殻邸に赴く。先日會食せしI氏夫人が属する煎茶道流派も席を出す、互流會の茶會の會場である。十時からの開始なるも颱風も近づく事なれば、出來う限り早く…

京都満喫

十月四日(土)陰 九時過ぎ宿を出で徒歩御池通りから小川通りを上がつたМ染工にお邪魔する。匂ひ關係で懇意にして戴いてゐるT氏の御令妹の婚家にて、友禅その他各種染物を生業とする老舗也。T氏のご紹介により初めて訪問するものにて、着物好きの余等に江戸…

二日目

十月三日(金)陰晴不定。暑し 七時半余ひとりにて宿を出で三条通りを東進、途上進々堂にて朝食を取り京阪電車でなにわ橋まで往く。九時過ぎ中之島圖書館に着く。電話にて予約せし書物を借り出し閲覧、必要箇所を複寫す。木村蒹葭堂に關する史料也。其れから京…

仙洞御所

十月二日(木)陰 朝七時過ぎ家を出で新幹線にて京都へ。着いてまず驛の京都総合観光案内所に行き着物パスポートを貰ふ。それから烏丸御池の定宿に往き荷物を預けてから尾張屋まで歩き早めの晝食。余はざる蕎麦、家人は利休蕎麦を食す。相変はらず美味也。夷川…