井岡道安

《津山藩醫井岡道安とその時代 ― その六 》

九、明和六年の東洞と京 補説 前號の最後に、明和六年を一般には馴染のない時代ではないかと書いた。其れは主に文化史的な意味合ひでさう言つたのであるが、改めて考へてみると幕政史としては決して閑却されてゐる時代ではないことに思ひ至つた。すなはち、…

探墓二箇所

五月十七日(日)晴 八時過ぎ起床。體調が戻らなければ其の儘歸濱のつもりでゐたが、思つたより囘復したので無理せぬ範囲で予定の行動に移る。京都驛より奈良線で東福寺に往き、臥雲橋から青もみじを眺めつつ荘厳院に至り、吉益家の墓を掃ふ。入つてすぐの處に…

東洞とシムポジウム

五月十六日(土)晴、暑し ホテルで朝食の後地下鐡で京都市役所前に行き寺町通りを上る。革堂近くに古い寫眞館を見つけるが殘念ながら井上寫眞館ではなく小林寫眞館であつた。當ては外れたが、だからと言つて明治の終りに此の近くに井上寫眞館がなかつたことの…

歴史と慚愧

四月十七日(金)晴 戰争や動乱や權力闘争といつたものに余り興味はない。余が歴史といふ言葉で考へるのは、寧ろ平時の普通の人の暮らしや感じ方や考へ方の方である。取分け江戸中期から後期の人々に關心がある。勿論直接その時代の人々の姿を見たり彼らに本心…

《津山藩醫井岡道安とその時代 ― その五 》

八、 吉益家門人帳 この通信百號の最後で、道安が醫術のどの學統學派に學んだかについて知る可能性のある資料として、東大の醫學圖書館の呉秀三文庫に所蔵されてゐる『吉益家門人録』(以下『門人録』)について触れた。これを閲覧しようと思ひながら中々果た…

文献探索

四月十一日(土)晴 午後八景島に近い福浦にある横濱市立大學醫學部内の醫學情報センターに赴く。所謂圖書館である。まづ市民利用登録をして利用カードを作る。其れから館内の案内を貰つて探してゐる文献の保存場所の見當をつけてから近くの席に荷物を置く。學…

門人録

三月二十四日(火)晴 此の日東京大學醫學圖書館に赴く。呉秀三文庫所蔵の貴重圖書『吉益家門人録』を閲覧す。明和六年に至つて井岡道貞の名を見出す。津山藩儒醫井岡道安は東洞先生の門人たりし事を知る。他にも参考とすべき發見多く収穫大なりと云ふべし。仔…

《津山藩醫井岡道安とその時代 ― その四(下) 》

一月五日(月)晴 七、醫學に於ける學統學派 儒學に學統學派があるやうに、醫學にも同様のものがあつた。こちらは儒學と違つて一般には知られてゐない事が多いと思ふので少し詳しく見ていくことにしたい。ただし、道安に直接繋がる可能性の低い蘭方醫學につい…

《津山藩醫井岡道安とその時代 ― その四(上)》

一月四日(日)晴 五、儒と医の關係 (承前) その修庵の晩年に師事したのが甲州の五味釜川で、儒醫一貫を持論とした。儒を太宰春臺に學んでゐるから、修庵と同じく儒學の師と儒醫に關する見解を異にしたことになる。釜川に醫を學んだのが柳莊山縣大貳である。山…

井岡道安への興味

十二月二十日(土)陰後雨 鷗外が医師にして儒者であつた澀江抽齋に、自分の姿を重ねて興味を持つたやうに、余が井岡道安に關心が向いたのは、己の姿を其処に投影してゐるからなのであらう。全く無名でありながら、多方面に興味を持つて本業以外の分野で名が傳…

≪津山藩醫井岡道安とその時代 ― その三≫

四、儒醫をめぐつて 儒醫とは儒者にして醫者を兼ねる者なのであらうと単純に考へてゐた。たとへば、辯護士の資格と醫師免許の兩方を持つ人と同じやうなものと思つてゐたのである。ところが、調べ始めてすぐにさう簡単なものではないことがわかつてきた。司法…

名醫録

十一月二十五日(月)雨 『今丗 醫家人名録』といふ本がある。文政三年の上梓であるから今から二百年近く前の、名醫リストである。『醫家傳記資料(上)』(青史社一九八〇刊)に影印として収められてゐる。其の當時井岡家では道安は既に亡く其の息冽、號櫻仙が現…

《津山藩医井岡道安とその時代 ― その二 》

三、三百石の藩醫前號の最後の方で、寛政四年に津山に於て宇田川玄隨が行つた解剖に立ち會つた醫師として「井岡洞安」なる名前があり、それが道安であらうと推測した。その後になつて津山洋學資料館のウェッブ上の表記そのものが誤りであることが判明したの…

史傳

十月三十日(木)陰 此の日鷗外全集の『伊澤蘭軒』届き早速讀み始む。『木村蒹葭堂のサロン』に續き大部の書冊なるも、同書及び現在通勤時に讀み進めてゐる『頼山陽とその時代』に於いて馴染の人名が早くも散見して舊知の人々と再會してゐるやうな懐かしさがあ…

その2

十月二十一日(火)雨後陰 《津山藩医井岡道安とその時代 ― その一の二 》二、井岡道安との出会い そこでまず、わたしが井岡道安の名に初めて出会ういきさつから始めることにしよう。 今年(二〇一四)の六月、会社が所有する香木や香道の道具について詳しく調べ…

再び通信

十月二十日(月)余の個人誌からまづ一囘分。《津山藩医井岡道安とその時代 ― その一 》 一、 はじめに これからこの誌上でわたしが書かうとしてゐる事がらは、内容から考へて、今までわたしが書いて來た多くの話題以上に、讀み手の興味を引く可能性の低いもの…