名醫録

十一月二十五日(月)雨
『今丗 醫家人名録』といふ本がある。文政三年の上梓であるから今から二百年近く前の、名醫リストである。『醫家傳記資料(上)』(青史社一九八〇刊)に影印として収められてゐる。其の當時井岡家では道安は既に亡く其の息冽、號櫻仙が現役の儒医であつた筈であるが殘念ながら櫻仙の名は人名録に見えない。尤も其から十四年後の天保五年に出た『當丗名家評判記』の「本草家」の部には井岡道貞の名で載つてゐるので、醫家よりは本草家として聞えてゐたのかも知れぬ。ちなみに道貞は井岡家の當主が名乘る通り名のやうなもので、時代からすれば櫻仙に間違ひはない。本草家には同じ津山藩医で、日本の化学入門書の嚆矢とも言はれる『舎密開宗』を著したことで有名な宇田川榕菴も上げられてゐるが、その榕菴の本草の師が櫻仙だつたのである。榕菴の養子興齋の同僚久原宗甫は京大純正化学科教授久原躬弦の父である。久原教授の薫陶を受けたのが甲斐荘楠香であり、その楠香の創つた會社に現在余が奉職してゐる訳である。天保五年から今年で一八一年、時代も人もこれだけ移り變はつた。