2014-01-01から1年間の記事一覧

好き嫌ひ

十二月三十日(火)晴 余は好き嫌ひがはつきりしてゐるとよく言はれる。確かに、その極端さは特に好きだつた人が嫌ひになつた際に激しい。先日も、今まで大のお氣に入りだつた職場のTといふ若い女性を一氣に嫌ひになつた。此の女は、余の愛する能年玲奈の「あ…

山陽道

十二月二十八日(日)晴 やつとの事で『頼山陽とその時代』讀了。山陽に對するアレルギーは、余の世代は旧制高等学校出身のインテリに比すれば左程強いものではなかつた筈だが、其れでもご多分に漏れず尊王のイデオローグで悲憤慷慨調のわざとらしい文章家とい…

體に惡い

十二月二十四日(水)晴 或る人に余は世間で體に良いとされてゐることをすると大抵逆の作用を受ける生まれつきだと言はれたことがある。元々運が良い方ではない反面惡運の強い方だとは思つてゐたが、其れを聞いて成程と納得した。思ひ當たる節が多かつたからで…

冬の一日

十二月二十三日(火)晴 終日家に在り。書齋にて讀書執筆に時を過ごす。本來かういふ生活を望んでゐたのである。随分と遠廻りをして來たが、やつと落ち着くべき處に辿り着いたやうである。資料となる文献に目を通し、メモを取り、原稿用紙に向かつて萬年筆で文…

井岡道安への興味

十二月二十日(土)陰後雨 鷗外が医師にして儒者であつた澀江抽齋に、自分の姿を重ねて興味を持つたやうに、余が井岡道安に關心が向いたのは、己の姿を其処に投影してゐるからなのであらう。全く無名でありながら、多方面に興味を持つて本業以外の分野で名が傳…

苦澁の年月

十二月十九日(金)晴 今日會社で呆然とせざるを得ぬ事があつた。嘗ての部下Y田に呼び出され、余が當時に語つたといふ三つの事に就き糾彈されたのである。余が人間を信ずる事の出來なくなつた主たる要因たる彼女から、まさか其のやうな事を言はれるとは思ひも…

決心

十二月十八日(木)晴 熟々考ふるに余は元來調子に乘り易く舌禍も招き易き者なれば、家人とも相談の結果矢張り斷酒することを決意す。酔余の言動の危ふく再び難を為すことを懼れ災厄を未然に防がんが為、酒席の續く此の時期を敢て斷酒とし、來年三月七日を以て…

年末雜感

十二月十六日(火)陰後氷雨 酒を飲むとき酒の薀蓄しか話題のない人は大嫌ひである。特に、ワイン、シヤンパーニユ、ウヰスキー、日本酒の順に薀蓄が面倒くさい。旨く飲めればいいのであつて、樂しい話題は他に幾らでもあらう。 余は酒で失敗してゐる。其の事…

女子嫌ひ

十二月十五日(月)晴 世上「女子會」なることばが流行つてゐる。余は此れを「をなごかい」と讀んで甚だ嫌つてゐる。をなごはあなごの親戚であらう。昔から余は群れる女を嫌ふ。だから、おにやんこもモー娘もAKBも皆好きではない、と言ふか興味を持つた事が…

≪津山藩醫井岡道安とその時代 ― その三≫

四、儒醫をめぐつて 儒醫とは儒者にして醫者を兼ねる者なのであらうと単純に考へてゐた。たとへば、辯護士の資格と醫師免許の兩方を持つ人と同じやうなものと思つてゐたのである。ところが、調べ始めてすぐにさう簡単なものではないことがわかつてきた。司法…

忘年會あれこれ

十二月六日(土)晴後陰 七時起床、ストレツチ、朝食、入浴の後外出。大船にてまづリハビリ施療を受け、眼鏡屋に行つて先日誂へし近視用眼鏡を受け取り、大船から横濱に出る。晝食の後コンタクトレンズ屋に行つて診察とレンズの註文。それから澁谷経由高円寺ま…

安倍のみクズ

十二月五日(金)晴 選擧戰が始まつた。自民黨の大敗と安倍政權の退陣を心から祈るより他はない。歴代の首相の中でも斷トツにくずの一人であらう。あんな腦内小學生に日本を任せられる訳がないのである。あべのハルカスといふビルが出來たさうだが、安倍のはる…

敵を知る

十二月四日(木)陰後雨 最近になつてやつと、自分の敵が何処にゐるのか、どういふ連中が余を敵視するのかがわかつて來た。意見が衝突したり、利害が對立する人間が必ずしも敵である訳ではない。自分の甘さに改めて驚くのだが、敵は余のことをよく知る人たちの…

冬の季語

十二月三日(水)晴 此の季節太平洋側の地域は冬型の氣壓配置により、よく晴れ上がつた青空の朝を迎へることが多い。日の出が遅く太陽が低い位置を廻る為であらう、陽光は斜めに差し込んで目にまぶしい。急に冷え込んだ朝の通勤時、驛に向かふ路上や驛のプラツ…

男女對抗戰

十一月三十日(日)晴 會社のAちやんが幹事となつて、社内で野球の男女對抗戰をやることになつた。但し、其の聲は完全に尾野真知子になつてゐて、Aちやんは聲質を氣にしてゐるやうなのだが、余は男は結構さういふ聲が好きなものだよと励ます。さて、余も當然…

惡童と理麝發香

十一月二十九日(土)陰時々晴 藤が丘にてリハビリの後横濱市營地下鐡をあざみ野から阪東橋迄乘り、徒歩シネマ・ジヤツク&ベテイに到り、晝過ぎより映畫『惡童日記』を観る。言はずと知れたアゴタ・クリストフのベストセラー小説の映畫化作品である。小説を讀…

名醫録

十一月二十五日(月)雨 『今丗 醫家人名録』といふ本がある。文政三年の上梓であるから今から二百年近く前の、名醫リストである。『醫家傳記資料(上)』(青史社一九八〇刊)に影印として収められてゐる。其の當時井岡家では道安は既に亡く其の息冽、號櫻仙が現…

夢解き

十一月二十日(木)陰後雨 昨日より風邪氣味となり此の日午後早退して家で安静に過ごす。 先日の夢を何故見たか思ひ當る節があつた。暫く前にAちやんと話してゐる時綾瀬はるかの話題が出て、余が可愛くて好きだといふとAちやんは可愛いとは思はないと言つた。…

風邪氣味

十一月十八日(火)晴 會社の同僚で余が可愛がつてゐる女の子にAちやんといふ若い娘が居る。二十代半ばで、色白で綺麗な顔だちをしてゐるのに、變に可愛い子ぶらない処が氣に入つてゐて、一緒に仕事をするのが樂しいのである。其のAちやんが昨日寒気がすると…

儒醫

十一月十七日(日)晴後陰 『伊澤蘭軒』を讀む事日課の如し。その百十五迠進む。其の間蘭軒も亦儒醫たりし事を知る。奇遇と言ふべし。圖書館より岩波の鷗外歴史文學集の當該巻を借りて併せ讀んでゐるが、是に大いに助けられてゐる。全集本は漢詩漢文は白文の儘…

三味線三昧

十一月十三日(木)晴 夕刻着物を着て豪徳寺に至る。七時より本樓にて松岡正剛先生プロデュースの『三味三昧』を聴く。本條秀太郎師の三味線の會である。一昨年の春秀太郎師の三味線の音色に出會つて以來、余の邦樂觀は一變し江戸に遊ぶ心持ちの樂しきを知るに…

《津山藩医井岡道安とその時代 ― その二 》

三、三百石の藩醫前號の最後の方で、寛政四年に津山に於て宇田川玄隨が行つた解剖に立ち會つた醫師として「井岡洞安」なる名前があり、それが道安であらうと推測した。その後になつて津山洋學資料館のウェッブ上の表記そのものが誤りであることが判明したの…

ネクタイとカード

十一月八日(土)陰時々小雨 廃棄第二彈。最早滅多にすることのなくなつたネクタイを五十本程捨てる。古い物だと三十年近く前に買つたネクタイで、多くは仏蘭西駐在中に求めたもの。昔は普通にネクタイをしてゐたし、好きで結構買つてゐたのである。其れでも氣…

足萎

十一月五日(水)陰 『伊澤蘭軒』を讀む事日課の如し。その七十一に至る。蘭軒三十有余歳にして足疾を得、後に兩脚全く廢するに至るを知る。余は肩疾に苦しみ筆硯や竹音を稍遠避けざるを得ず、専ら讀書に勤しむ日々であるが、脚は到つて頑健である。歩行の困難…

史傳

十月三十日(木)陰 此の日鷗外全集の『伊澤蘭軒』届き早速讀み始む。『木村蒹葭堂のサロン』に續き大部の書冊なるも、同書及び現在通勤時に讀み進めてゐる『頼山陽とその時代』に於いて馴染の人名が早くも散見して舊知の人々と再會してゐるやうな懐かしさがあ…

盗車

十月二十三日(木)雨後陰 友人の西村が良いところに連れて行つてやるといふのでついて行く。どうやらキヤバクラらしいのだが、店は道路に面して開放されてゐて中もやけに明るい。入ると客は皆静かに本を讀んでゐる。女性客もゐて、いはゆるキヤバ嬢は飲み物を…

歓談

十月二十二日(水)雨 夕刻四谷に赴き、六時半より業界の大先輩N氏Y氏と倶に坂町の楓庵に飲む。牡蠣等の料理と酒に歓談數時間、再びN先輩のご馳走になる。三人にて飲むは二度目なれど業界内外の話題百出、樂しい時間を過ごし、再び會ふ事を約して十時前四谷…

その2

十月二十一日(火)雨後陰 《津山藩医井岡道安とその時代 ― その一の二 》二、井岡道安との出会い そこでまず、わたしが井岡道安の名に初めて出会ういきさつから始めることにしよう。 今年(二〇一四)の六月、会社が所有する香木や香道の道具について詳しく調べ…

再び通信

十月二十日(月)余の個人誌からまづ一囘分。《津山藩医井岡道安とその時代 ― その一 》 一、 はじめに これからこの誌上でわたしが書かうとしてゐる事がらは、内容から考へて、今までわたしが書いて來た多くの話題以上に、讀み手の興味を引く可能性の低いもの…

ノートを捨てる

十月十九日(日)晴 昨日に續き衣更へと書斎の片付を為す。衣類を大量に捨て、又文書やノートといつた紙類も大量に捨てる事とす。學生時代のノートも今までは大事に持つてゐたのだが、流石に無用と思はれるものも多く、竟に廃棄を決意した。又其の後に自分の興…