敵を知る

十二月四日(木)陰後雨
最近になつてやつと、自分の敵が何処にゐるのか、どういふ連中が余を敵視するのかがわかつて來た。意見が衝突したり、利害が對立する人間が必ずしも敵である訳ではない。自分の甘さに改めて驚くのだが、敵は余のことをよく知る人たちの中にあつたのである。余の姿を裏表ともに知る人たち、會社で言へば同期入社の連中である。彼らの中の一部が、余をよく知るが為に余を排斥し、面倒な男であることを誰彼となく説いてゐたのである。或は余に好き勝手にやらせては彼らの出世の邪魔になると思つたか、惡意のある連中の余に對する批判や惡口に積極的に同調してゐたのである。この事が分かつてから、矢張り寂しさと落胆は禁じ得ぬ。余の方では最大限の好意と信頼を以て接し、また心を許して來ただけに、裏切られたといふ思ひがない訳ではないが、其れも要するに余の脇が甘かつた結果である。會社に友達は遂にゐなくなつてしまひさうだ。