2015-01-01から1年間の記事一覧

仕事納め

十二月二十八日(月)晴 仕事納めの朝禮の後、待ちに待つた恒例の驛傳大會。余の職場はふれぐらんす學園としてエントリー。余は衣装監督兼走者である。情熱をもつて参加者を募り、各々の個性に合つたコスチユームを選定、調達した甲斐あつて、今年は今までにな…

かをりをりのうた 7

十二月二十七日(日)晴 梅が枝の花にこづたふうぐひすの聲さへにほふ春のあけぼの ―仁和寺法親王守覺〜千載和歌集 「共感覺」シリーズである。鶯の鳴く聲が嗅覚的に捉へられるといふ意匠。花を雪と見る、雪を花と見る式の視覚の「見立て」よりは氣が利いてゐ…

藝術センター

十二月十九日(土)晴時々雨 九時過ぎ宿を出で三条通りのポールにて朝食の後寺町通りを北上し拾翠亭に赴く。晴れ間から細雨の降る妙な天氣である。紅葉は既にないが他に客もなく暫し九條池を眺めて過ごす。 其れから再び寺町通りに戻り、末廣にて穴子寿司を食…

久方ぶりの京都

十二月十八日(金)陰時々晴 午前中本社で打ち合わせの後午後京都に向かふ。室町通りの定宿に荷物を置き、嵐山に着いたのは四時半過ぎであつた。定家を偲んで小倉山方面を散策。時雨殿なる百人一首を記念する博物館のやうなものがあつたが、既に閉館の時間であ…

かをりをりのうた 6

十二月十五日(火)陰時々晴 にほひ來るまくらに寒き梅が香に暗き雨夜の星やいづらむ 藤原定家〜詠百首和歌 早春のまだ寒い夜ふけ、枕邉に梅の香りを感じると、一輪一輪と咲く白梅のすがたが目に浮かび、それが雨で月を見ることのなかつた夜空に新たに生まれ出…

かをりをりのうた 5-bis

十二月十二日(土)陰 塚本邦雄の『新古今新考』を讀んでゐたら、昨日とりあげた歌の「あやめ」は菖蒲のことで、かきつばたの花菖蒲ではないとあつた。そしてご丁寧に「ちよつと樟腦に似た匂ひのあやめが馥郁と香つてゐる、悪魔祓ひの菖蒲が香つてゐる」と解説…

かをりをりのうた 5

十二月十一日(金)嵐後陰時々晴 うちしめりあやめぞかをる時鳥鳴くや五月の雨の夕暮れ ―藤原良經(『新古今和歌集』二二〇) あやめは花菖蒲。私はかつて旧曆五月の頃山形県長井市のあやめ公園に遊び、その淡いが清楚でかつパウダリー感のある香りに親しんだこ…

かをりをりのうた 4

十二月七日(月)晴後陰 わがゆめはおいらん草の香のごとし雨ふれば濡れ風吹けばちる ―北原白秋〜『桐の花』 おいらん草は草夾竹桃ともいひ、花魁のつける白粉の香りに似てゐるからこの名があると云ふ。「ごとし」と直喩ではあるが、雨に濡れたり風に散るとあ…

英雄の死

十二月六日(日)陰 ユーテユーブでジョナ・ロムーのラグビー場での追悼セレモニーの様子を見る。ラグビーワールドカップの年、それもオールブラツクス優勝の快挙のすぐ後だつただけに、ニユージーランドのみならず世界中のラグビーフアンが悲しみに包まれた。…

彼誰忘年會

十二月五日(土)晴 四時より中野第二力酒藏にて恒例の彼誰忘年會。今囘は珍しく二名欠席にて四人で九時半過ぎ迄飲む。今囘は話題に出た人名のうち、今まで余り名の出なかつた人を挙げる。他の多くはいつも名の出る人たちだからである。 押川春浪、厨川白村、…

かをりをりのうた 3

十二月四日(金)晴後陰風強し 大空はうめのにほひに霞みつつくもりもはてぬ春の夜の月 ―藤原定家〜『新古今和歌集』 前回の俊成の歌とくらべれば秀歌であることが歷然とする。共感覚表現の方向は反對だが、にほひといふ目に見えぬものが霞むことはないのに、…

かをりをりのうた 2

十二月三日(木)雨後晴 春の夜は軒端の梅をもる月のひかりもかをる心ちこそすれ ―皇太后宮大夫俊成〜『千載和歌集』 作者俊成は言はずと知れた藤原定家の父で、この歌を収めた千載集の撰者でもあつた。歌はことばも平明でわかりにくいところはなく、ただ「ひ…

かをりをりのうた 1

十二月二日(水)陰後雨 今日から香りや匂ひを感じさせる和歌や短歌を取り上げ、其処に余の贅語を加へるといふ一種の連載を始めようと思ふ。大岡信の「折々の歌」に倣つて「香り織りの歌」と名付く。 記念すべき第一囘は塚本邦雄である。 夏過ぎてひらく希臘の…

送別會

十一月三十日(月)陰 夕方から都内に出て年末に退社することになつた仏蘭西人L氏が丁度國際會議で來日した機會を捉へての送別會に出席。十月に巴里に行つた際に世話になつただけに、急の退任にて驚く。執行役員だつたが解任だといふ。解任した當の取締役もし…

全集

十一月二十六日(木)雨後晴後陰 塚本邦雄の小説を余は全集で讀んでゐるが、小説は僅か三巻しかないことに氣づいてしまつた。もう少しあると思つてゐたので殘念である。濃密で絢爛たる文章は魅力的でずつと讀んでゐたい氣持になる。澁澤龍彦より遥かに高貴で三…

私淑

十一月二十四日(火)陰 楠見朋彦「塚本邦雄の青春」讀了。若き日の邦雄の足跡を追つたもので面白く讀む。「菊帝ー小説後鳥羽院」も讀み了へた。もつと多くの人に讀まれ、もつと小説家としても評価されるべきだと思ふ。短歌の人たちだけの讀み物では勿軆ない。…

影響

十一月二十三日(月)陰時々雨 本來であれば巴里に居る日であるが、テロルの爲仏蘭西への出張が取りやめになり終日書齋に在つて讀書執筆に勤しむ。塚本邦雄の小説「藤原定家ー火宅玲瓏」を讀み了へ、續いて「菊帝ー小説後鳥羽院」を讀む。此の兩者に實朝を加へ…

結婚披露宴

十月晦日(土)陰 會社の同僚で友人のN君の結婚披露宴に出る。余は先日誂へし茶色のお召に銀座で買つた帯を締めて台場に赴く。イケメンのN君と美しい奥様の、非の打ち所のないカツプルである。余興や祝辞等も控へめながら、二人の幸せを誰もが確信するやうな、…

銀座の寿司

十月二十三日(金)晴 朝八時前に成田に着きバスで東京駅まで移動。荷物をコインロッカーに預け、喫茶店で休んだ後銀座の某有名男着物店に赴く。家内が先に着いていて帯を選ぶ。店員が仕切りに薦める帯は確かに素晴らしいものではあるが十四万円もしてとても買…

その後のパリ

十月二十二日(木)陰後雨 十七日にパリに戻ってからのことは会社の仕事でもあり詳細はここでは省く。ただ、ラグビーのワールドカップ、フランス対ニュージーランド戦を大勢で観て盛り上がったり、弓道も香道も尺八も吹くフランス人と知り合ったりと、充実し…

コロク

十月十六日(金)晴 時差と緊張からか明け方から眠れず朝を迎える。緊張という程のものではないかも知れないが、人前でフランス語でスピーチをするのは初めてなので、うまく行くかな、行かないと格好悪いなというような気持ちである。前回同様たいして食べるも…

コクテル

10月15日(木)晴 昨夜から気温が下がり、朝起きてみると南仏とは言え結構寒い。9時にKさんが来て一緒にニースの空港に行く。コーヒーを飲み、到着の時間に出口に行くと程なく若宗匠と弟子で通訳もする女性が出て来た。1泊の滞在のためか荷物は少なめで着物も…

グラース再び

10月14日(水)晴 スーツケース一個をホテルに預け、寒い朝歩いて凱旋門まで行き、そこからバスでオルリー空港に行く。昼過ぎニース、コートダジュール空港に着く。グラース市の職員2人が迎えてくれ、車でグラースのホテルへ。9月に泊まったのと同じホテルなの…

パリ再び

十月十三日(火)晴 昨夜パリに着き、今朝は朝から二十日の香席の会場の下見に行く。立派な城館の広間に畳を敷いて香席をやるのである。すぐ横にある完全に和風の茶室も借りて聞香の後呈茶をする予定であったが、暖房がない中この寒さではちょっと難しいかも…

銀色週間

九月二十三日(水)晴 十四日に帰国してから、慌ただしく時間が過ぎた。何より十月に再びパリに渡るに際し、やることや調整することが多く、フランスとのメールのやりとりやら会社の人事や広報との折衝など、さらにフランス語での講演内容の原稿作りなど、目…

九月十三日(日)陰時々雨

早起きして荷物をまとめホテルに預けてから地下鉄でバンブの蚤の市に出掛ける。クリニャンクールと違ってブロカントの雰囲気で生活雑貨の大安売りという感じである。家人はクリスタルの宝石箱を購い、私はデキャンタを購入。重くなるが安かったのでつい買っ…

パリの雨

九月十二日(土)雨 朝から珍しく雨が降り続け、途中驚く程激しく降った一日である。カフェで遅めの昼食をとりながら雨足の弱まるのを待つ。少し弱まったところで出て、結局サン-ジェルマン界隈を散策。久しぶりにドラクロワのアトリエに入る。一時止んだもの…

九月十一日(金)晴

朝バーゼルの駅のフランス国鉄側のプラットホームから列車に乗り、途中からTGVに乗り換えてリヨン駅に昼過ぎに到着。地下鉄を乗り継いでオデオンに至り、徒歩クレマン通りのホテルに到着。一休みした後リュー・ド・セーヌ界隈を散策し、カフェ、パレットで遅…

アルプスのおじさん

9月10日(木)晴時々雨 インターラーケンウエストからオストに移動し、コインロッカーにスーツケース類を預ける。7フランで2つのスーツケースの他に鞄なども入れられる大きなロッカーを使えたので、これはスイスで唯一日本やフランスに比べても安いと思えるも…

ジボダン訪問

九月九日(水)晴 八時過ぎホテルを出て徒歩rue de Lyonまで歩き、44番地の楠香が滞在した住所に行って写真を撮った後近くのボルテール博物館に行く。午後からの開館なので写真だけ撮って、近くのパン屋で朝食をとる。ここで家内と別れ、私はひとりでバスに乗…