香り・匂ひ・調べ

グラースの街並み

1911年に甲斐荘楠香が下宿から研修先であるスラン社まで通ったと思われる道筋を2015年に辿ったことがある。建物も含めその頃とほとんど変わっていないだろうと思われる街並みに胸が一杯になった。この路地を通う一歩一歩が、日本の香料産業誕生のための歩み…

和こりごり

日曜はお初香であった。コロナ明けでもあるし、依頼された原稿の締め切りも迫っているしで、本当は行きたくなかったのだが、前々から決まっていたことだから仕方がない。何より着物を着るのが面倒だし、袴を穿くのも久しぶりで心もとない。香席で筆者をする…

コロナ、わたしの場合-2-

回復期の後遺症としては、頭痛(後頭部や脳幹に感ずる鈍痛)や肺や気管支に痰が詰まったような気持ち悪さ、食欲不振、眠気などがある。夜中に目を覚ました際に頭痛を感じるし、朝起きる時にも吐き気に似た気持ちの悪さを胸部に感じる。頭の働きも鈍く、本を…

空白地帯

香道志野流松隠軒では今年も聞香始め(茶道の初釜に相当)をやったという。わたしの通う教室では「お初香」と呼ぶ香席を緊急事態宣言下でやむなく中止にするとの報せを受けたすぐ後だったのでちょっと驚いた。人数は通常より少なくして間隔も開けたというが…

パリの調香師

『パリの調香師』という映画を観た。何とも言いようのない映画であった。 試写会の券を貰ったので京橋まで行って来たのだが、出口で関係者にどうでしたかと聞かれて、「何とも…」としか答えられなかった。元調香師として気の利いたことを言おうにも、映画と…

稲畑勝太郎

鹿島茂の本は結構読んでいる。といっても驚くべき多産な書き手なので、読んでいるのは書いたもののほんの一部なのだろうが、まあまあ楽しめる本が多い。軟硬とりまぜた、情報量の多さとそのさばき方、そしてわかりやすい図式化などが長所だが、ときに杜撰な…

誰も不思議に思わない

考えると不思議なのである。どうしてこうまでテレビ番組に料理や食べ物があふれることになったのか。高山大人はテレビと料理は相性がいいと言うけれど、テレビで味は伝わらないからである。いわゆる食レポのおかしな日本語の下手な味表現を見たり聞いたりし…

香り・ことば・AI

渋谷のヒカリエで開かれたセントマティック社のKAORIUMのプレス発表会に行って来た。「香りの超感覚体験を作る共創型プロフェッショナル集団」による、「香り」と「言葉」の変換システムだという。そう聞いては、香りと言葉のプロを自認するわたしとしては、…

ジャン-フランソワ・ラティ

ジャン-フランソワ・ラティが亡くなった。 Givenchy Ⅲ, Lumiere(Rochas), Jazz(YSL), Eau Dynamisanteなどの作者として知られるパフューマーである。年明け早々に亡くなったと、香水の情報サイトにあった。悲しい知らせである。最後に会ったのは25年くらい前…

ふたつの世界

十二月七日(金)晴 フレーバー・ホイールというものがある。アロマ・ホイールとも言う。いわゆる「香りの分類」を図表化したもので、コーヒー、ワイン、チーズ、ウィスキーといった品目別に、それぞれの香りを評価・分析する際に使われる、「フローラル」とか…

無形文化遺産

十一月二十九日(木)陰後雨 ユネスコの無形文化遺産にグラースの香水をめぐるノウハウが登録されることに決まった。登録に至る活動にほんの少し関わった身としてとても嬉しく、関係者に心よりお祝いのことばを送りたい。ルルーさん、ベダールさん、おめでとう…

三大調香師

六月十五日(金)陰 職場で世界三大調香師は誰かという話題が出た。マーケティングの女の子が、香水と無縁なはずのフレーバーの顧客から問い合わせがあったというのでわたしの意見を求めて来たのである。食品メーカーというのは、こんな関係ないのにちょっと知…

香席

一月十四日(日)晴 午後二時より原宿妙喜庵にてお初香の香席。もちろん着物、袴着用である。今日は白つぽい柳条お召しに仙臺平の袴。袴は始まる前に着付けて貰つたので流石にぴしつと決まつて背筋が伸びる。余は第一席にて執筆を務む。茶室で客に呈茶の後立礼…

黎明期における日本の香料産業【第三回】

七月十二日(水)晴 4. 日本の天然香料すでに述べたように、石鹸の賦香などで需要の生じた天然香料を国内で生産する動きも明治期にはありました。明治年間に製造された天然香料としては、芳樟油、桂皮油、橙皮油、纈草根(セイヨウカノコソウの根)油、菖蒲根油…

黎明期における日本の香料産業【第二回】

七月十一日(火)晴 2. 香料と関税 幕末に始まる海外との交易は日本に西洋の香水や香粧品をもたらしましたが、それはちょうど、今見てきたような合成香料の勃興期に当るわけです。石鹸や化粧品といった製品に接し、それまでの日本にはないそうした西洋の香りに…

恵比寿原宿新橋

三月十九日(日)晴後陰 昼過ぎ恵比寿の美容室にて髪を切り、原宿に移動して三時から香席。難波津香にて人数が少なかったこともあり余が急遽執筆となる。三つの試しと客ふたつの五香を聞く。寸門多羅ひとつ混じる他は皆伽羅にてどれも佳香也。特にウの香を余は…

十八年ぶり二十五年ぶり

三月十八日(土)晴後陰 午後高校時代の友人O氏来庵。薄茶、聞香、尺八の後懐石。滅多に会うことはないのだが、会えばしっくりと色々な話の出来る得難い友人である。十八年前に花火を見にたくさんの友人とともに当時藤沢にあつた拙宅に来てくれたのは覚えてい…

浄瑠璃追善香席

二月十二日(日)晴 十一時より国立劇場にて文楽「平家女護島」を見る。近松名作集だが、他の世話物はすでに見ているので、今回初見のこちらを選んだ。やはり喜界が島の段が抜群に面白い。俊寛が取り残されるのを自らの意思に仕組んだ近松の脚色も巧みだが、そ…

健とすず

十二月十一日(日)晴 午後一で東京ステーションギャラリーに行き「高倉健展」を観る。混むと言われていたがガラすき。内容は出演映画の予告編や一場面が延々と続くだけで何の工夫もなく期待外れ。招待券を貰って行ったからいいようなものの、自分で金を払って…

茶話會

三月十九日(土)雨後陰 會社の同僚S氏を招いて茶話會。もうひとり臺湾からの賓客も招いてゐたが、身内に不幸があつて臺湾に歸つてゐるので殘念ながら來られず。煎茶道での玉露の呈茶、聞香、薄茶といつも通り進み、尺八を聽いて貰つた後は酒席。S氏は藝術や…

かをりをりのうた 11

二月七日(日) むめの香のふりおく雪にうつりせば誰かは花をわきてをらまし ―紀貫之 此の歌は傳小野道風筆の有名な「繼色紙」にあるのだが、岩波文庫佐伯梅友先生校注本古今和歌集では、「梅の香のふりおける雪にまがひせば たれかことごとわきて折らまし」と…

節分

二月三日(水)晴 午前中會社でフランス語の業界誌を讀むに「茶」ノートを用ゐたフレグランスの変遷に就き面白い記事あり。テイー香調を取り入れた最初の香水は一九八五年にアニツク・グタールから出たSablesださうだが、今日よくあるグリーンテイーのタイプの…

かをりをりのうた 10

二月朔日(月)陰 このごろのしぐれの雨に菊の花散りぞしぬべきあたらその香を ―桓武天皇 いつもながら季節はづれの撰歌で恐縮である。「しぐれの雨に菊の花」が實に良い。それだけで菊の香りを感じられるではないか。ただし、私は菊の花の香りがどうしても好…

かをりをりのうた 9

一月二十九日(金)雨 いづれともわかれざりけり春の夜は月こそ花のにほひなりけれ ―和泉式部〜『和泉式部續集』より 十八・九歳の頃余は和泉式部に耽溺してゐた。岩波文庫『和泉式部歌集』は當時の愛讀書であり、好きな歌には番號に丸を付けてゐる。今囘見直…

かをりをりのうた 8

一月八日(金)晴 飛梅の飛ぶ香はるけき寒昴(かんすばる)耳の迷宮に光刺すなり ー塚本邦雄〜『されど遊星』より 共感覚シリーズを續ける。飛梅は菅原道眞を慕つて京から太宰府まで飛んで行つた傳説の梅。寒昴は真冬の丁度今の時期の冷たい夜に冴え渡る星を指し…

二日目

一月二日(土)晴 暖かき正月也。遅く起きて箱根驛傳を觀る。午後近所の神社に初詣に出掛け、後嶺庵にて最近入手した香木を聞いて銘をつけ、さらに岳母の社中の初釜にて行ふ予定の組香を新たに考案する。さらに恒例の、今年の抱負を妻と二人分墨書する。また、…

かをりをりのうた 7

十二月二十七日(日)晴 梅が枝の花にこづたふうぐひすの聲さへにほふ春のあけぼの ―仁和寺法親王守覺〜千載和歌集 「共感覺」シリーズである。鶯の鳴く聲が嗅覚的に捉へられるといふ意匠。花を雪と見る、雪を花と見る式の視覚の「見立て」よりは氣が利いてゐ…

藝術センター

十二月十九日(土)晴時々雨 九時過ぎ宿を出で三条通りのポールにて朝食の後寺町通りを北上し拾翠亭に赴く。晴れ間から細雨の降る妙な天氣である。紅葉は既にないが他に客もなく暫し九條池を眺めて過ごす。 其れから再び寺町通りに戻り、末廣にて穴子寿司を食…

かをりをりのうた 6

十二月十五日(火)陰時々晴 にほひ來るまくらに寒き梅が香に暗き雨夜の星やいづらむ 藤原定家〜詠百首和歌 早春のまだ寒い夜ふけ、枕邉に梅の香りを感じると、一輪一輪と咲く白梅のすがたが目に浮かび、それが雨で月を見ることのなかつた夜空に新たに生まれ出…

かをりをりのうた 5-bis

十二月十二日(土)陰 塚本邦雄の『新古今新考』を讀んでゐたら、昨日とりあげた歌の「あやめ」は菖蒲のことで、かきつばたの花菖蒲ではないとあつた。そしてご丁寧に「ちよつと樟腦に似た匂ひのあやめが馥郁と香つてゐる、悪魔祓ひの菖蒲が香つてゐる」と解説…