香り・ことば・AI

 渋谷のヒカリエで開かれたセントマティック社のKAORIUMのプレス発表会に行って来た。「香りの超感覚体験を作る共創型プロフェッショナル集団」による、「香り」と「言葉」の変換システムだという。そう聞いては、香りと言葉のプロを自認するわたしとしては、どんなものか見るために駆けつけないわけにはいかないではないか。

 会場にはテーブル状のタッチパネルのモニター上に実際の香りをつけた小瓶を置いて、専門の人がついてこのシステムを試せるようになっている。各人は実際の香りを嗅いでその香りが与えるイメージを、パネル上に浮かぶあらかじめデータから選ばれた言葉の中から選択する。次にはその言葉と結びつく他の香りが幾つか示され、さらにその中から最初に選んだ言葉のイメージに一番近いものを選ぶ。これを三回繰り返して、選んだ言葉と香りから、今度は共通するキーワードのすべてが提示され、さらにAIが「あなたの香りから見える景色」を文章で作ってくれる、というものである。

 私も試しにやってみることにした。けっこう待たされるが、幸いなことにその間このシステムを開発した設立間もないセントマティック社の社長さんにいろいろ話を聞くことができた。まだ若い、いかにもITとかAIの世界にいるらしい、やる気と才気にあふれた感じの方である。いろいろな質問をぶつけ、私の考える言葉と香りの関係を話してみた。その応対をみる限り、かなり「わかっている」という感じだった。そうこうするうち、やっと順番が来た。私の場合まずセダーウッドの香りを選んで、その香りを「安定感のある」香りと捉えた。しかし、次に安定感のある香りとして示されたふたつの香りに私は安定感を感じなかったので、セダーウッドの二番目の印象である「穏やかな」に戻って、それと共通するものとしてラベンダーを選び、今度は両者に共通するイメージワードが示され、私は「リフレッシュ」を選んだ。すると、リフレッシュ感のある他の香りが再び示され、私が選んだのはグリーンミンティの香りであった。これで三つ揃ったことになる。もちろん、選んでいる時の選択は番号であって、それが何かを知らされている訳ではない。当然それが何か私にはわかるのだが、あえてわからぬふりをして続けた。改めて三品を見ると、確かにフーゼアアロマティックな私好みのメンズフレグランスが出来そうな素材ではある。それはともかく、そうして選んだ香りと言葉からAIがひねり出した表現は「花火の音色を運ぶ川風」であった。ちょっと、共感覚的な「超感覚」を意識しすぎた奇妙な日本語になってはいるが、言いたいことはわからないでもない。正しい日本語で表現しようとすれば、「川岸を歩いている時、遠くに花火の音がした。振り向くとちょうど爽やかな風が吹いて頬を撫で、かすかに硝煙の匂いと花火の残像を感じたような気がした」くらいであろうか。

 今までにないアプローチであり、消費者の感覚から香りと言葉の結びつきを明かにし、それを応用する可能性を持った、なかなか素晴らしいシステムである。いったいどういうビジネスモデルなのか多少わかりづらいところはあるし、香料に長年携わって来た身としては正直いろいろ懸念や疑問がないわけではないが、わたしとしてはこの先の展開を興味を持って見て行きたいと思う。実際、もう少し洗練されたものになれば、香料会社や食品メーカー、トイレタリーメーカーなどでも応用は可能かも知れない。従って、香料会社からも見学に来ていた。長谷川香料の方も見えていたし、旧知の曽田香料佐野さんとは、このシステムの可能性と課題について立ち話も出来て有益であった。国内三流香料会社のT香料からは誰も(私は私人として行った)来ていないようであった。アンテナを張っていないから知りもしなかったのであろう。

 香料会社でも海外の一流どころはAIを取り入れ始めている。AIなしには何も出来ないような時代になりつつある。名人が楽勝だった将棋や囲碁AIに負けたように、天才調香師の香水よりAIの作った香水の方が売れるようになる日が来ないとは限らないが、創香に関しては正直そうすぐにうまく行くとは思えない。もっとも、やらなければ始まらないということはあるので、進めるのは大いに賛成だが、どうも初期のデータ設定に過誤があるような気がしてならない。もちろん、各社詳細は秘密なのでわからないが、AIの専門家がデータとして扱う香りの数値化に対して、根本的な誤認があるような気がしてならないのである。

 とは言え、香りという、きわめて数量化ないしバイナリー化の難しい不可解なものと、この先どこまで発達するのか想像も不可能なAIとの出会いでこれから何がどう変わるのか、興味深い問題ではある。これはある意味人間の五感のこれからを左右する話だし、五感が変われば世界も変わる(哲学的な意味において)のである。その変貌の様相とそのことの意味を、しっかりと掴まえていきたいものだと思う。