無為徒食

十月二十七日(木)晴
元居た部署の営業報告会に出る。もはや自分が完全な部外者であることを痛感し、寂しさと疎外感を禁じ得ず。改めて考えれば、その部署から戦力外通告によって放り出された訳であるから、恋々として関わりを保とうとするのは惨めな話であろう。サラリーマンが会社を辞めればサラリーマンでなくなるように、調香師の職を奪われればもはや調香師ではないのだ。たとえ調香師であることをアイデンティティのように思いなして生きて来た時間がいかに長かろうとも、この現実を受け止め、今置かれた境遇に殉ずるべきであると悟った。むしろこの寂寥感で吹っ切れた思いがあり、今後は旧職場との交わりを断つことを決意す。それにしても、香りに携わって三十有余年、結局のところ余が何事をも成し遂げることなく特別会社に貢献することもなく、無為徒食、遂に失敗の人生に終わったことは無念というより他はない。恐らく何をやっても上手く行かなかったのであろうが、途中までこれはひょっとすると面白いことになるかも知れないという感触があっただけに、忸怩たる思いは強い。すべては自分が日々の努力を怠り、気持ちがあれやこれやに動いて来た結果であり、己が愚昧を恥じるしかない。とは言え、こうした感懐を抱くと、改めて自分を見つめ直すきっかけにはなるようで、何となくこの先の人生もそう長くはないと感じ始めた今、自分に残された時間をどのように過ごすべきか考え始めている。死刑宣告はすでになされている上に、終身刑として身を慎むことが課せられたと思えば、粛然と日々を送れるだろう。謹慎の身であることと謙虚さをすぐに忘れるからこそ今のていたらくになったのだと肝に銘じて、足元だけ見てよろよろと歩いて行くことにしよう。与えられた仕事、年史の編纂に専心するつもりである。それがどんなにつまらなくてもやるのが仕事である。しかも、年史のために調べ物をしてものを書くのはつまらないどころか面白いのである。誰もこの仕事にたいした価値を認めず、負け犬として後ろ指さされようとも、あるいはたいした仕事をしているように見えない給与泥棒と思われようとも、粛々と資料を調べ文章の校正に勤しみ、歴史の事実に少しでも近づく努力を続けよう。他に何も価値がないからこそこの仕事に回された事実を受け止め、日向を歩かず、人前を避けて静かに作業を続けよう。香料ビジネスに自分の知見や経験が何の役にも立たないと評価された現実を見て見ぬふりをするのを止めよう。香料を作って売る会社で私を必要とする部署はどこにもなく、誰も私を助けてはくれない。どこの会社でも年史編纂の経験者などいるはずもなく、従って本来誰にでも出来る仕事に回された意味を、知らぬふりをしていた自分の不明を恥じよう。今年の標語「飛」は文字通り「飛散」した。来年は「潜」が良いのではないかと思っている。私の人生に数多く訪れた沈潜の時が、長い氷河期の始まりのように今まさにやって来たのである。