誰も不思議に思わない

 考えると不思議なのである。どうしてこうまでテレビ番組に料理や食べ物があふれることになったのか。高山大人はテレビと料理は相性がいいと言うけれど、テレビで味は伝わらないからである。いわゆる食レポおかしな日本語の下手な味表現を見たり聞いたりしていても、「美味しそう」なのはわかるがどんな味なのかはとんとわからない。それでも料理や食事、食べ物はテレビの王道を行く。味覚と同じようにテレビでは伝わらない香りが、それ故にテレビには不向きと言われ続けているだけに、この両者の違いに唖然とし、納得のいかないものを感じるのである。見た目が大事ということはあるだろうが、香りだって最初から目に見えぬものだったわけではなく、花であれ香水瓶であれ、あるいは液体の香料であっても、テレビカメラに写らないと決まったわけではない。ましてや、食材にしろ料理された食べ物にしろ、本来みな匂いや香りに満ちたものではないか。食べ物なら味や香りが伝わらなくてもテレビで持てはやされ、食べ物以外の香りについては無視される。「世界の街角の芳香」なんていう5分番組も、「香りで綴る世界紀行」もなければ、「香り発見」や「香りの鉄人」もない。そのことを不思議に思うこともないくらいに、われわれは嗅覚を、テレビという20世紀の生んだ視覚文化の殿堂に対する敵対者のように扱って来たのである。