鎌倉山の蔵の家

八月七日(日)陰後雨
十時半過ぎN子と家を出でバスで大船に往く。買物をした後十一時半過ぎ駅改札にてN木夫妻と待ち合はせタクシーで鎌倉山のN本夫妻宅へ。N本夫妻は秋田から蔵を移築し、「風雅の蔵」といふ名をつけて住んでゐるのである。N本氏はKさんの甥で、N本夫人はN子の友人、N木夫妻もKさんの知り合ひで、客は他にKさん自身と其の姪に当りN本氏の姉に当たる女性の計六人。わたしにとつてはN子とKさん以外は初めて会ふ人たちばかりである。「蔵の家」を見たいといふわたしたちと、其の家で料理人を呼んで美味しいものを食べたいといふKさんのアイデアが一緒になつて実現した、贅沢な午餐の会である。

N本夫人は建築家で古民家を愛するあまり、鎌倉山の頂上近くの住宅街に蔵を移築までしてしまつたのである。蔵と言つても相当に広く、建築家が手を入れただけあつて実に快適さうな住空間になつてゐる。長大な棟木、太い梁、漆の塗られた柱、手の込んだ建具など、現在ではとても手に入らぬ部材を使つた素晴らしい建築で、家具や内装も雰囲気のあるものを集めた、夢のやうな家である。


かつてK島建設に勤務してロンドン駐在が長く今は日本の伝統文化を広めるNPОの理事長を務めてゐるN木氏は一級建築士であり、N子も実は二級建築士の免許を持つてゐて建築関係の出版社に勤めてゐるくらゐだから二人とも建築には詳しく、中を見せて貰ひながらも専門的な会話が飛び交ふ。わたしも大工の倅として精一杯理解しやうと耳を欹(そばだ)てる。

此の素晴らしい空間で、しかも先日まで鎌倉の釈迦堂近くでレストランを開いてゐた料理人を呼んで腕を振つてもらつた料理と持ち寄つたシャンパーニュや酒を堪能しやうといふ訳だ。料理はイタリアンをベースに自然派素材に拘つたもので、七月に食べに行つて大満足して帰つたばかりだから文句なしである。

話題は建築の話から料理、食器、飼ひ犬の真吾君のこと、或いはお鉢が回つて香りのことなどで、新鮮で美味しい料理を食べながら会話も弾み楽しい時間である。昼過ぎから食べ始めて四時過ぎまで食べ続けで、会費制とは言へ会費以上の料理と酒であることは明らかである。知人の蔵の家でイタリアンを、料理人を呼んで食べる此の贅沢さ。シヤンパーニユの酔ひも回つてわたしの舌も滑らかである。
そんな時N木さんが扇子を取り出して、此れは松岡正剛の書になる扇子だと言ひ出す。驚いて借り受けて見ると確かに松岡正剛、即ち玄月の書体である。ああ、確かに玄月の書ですねと言ふと、N木さんも玄月の名を出されて驚いたやうで、よく知つてるねといふから、知つてゐるの何のつて、松岡正剛は現在生きてゐる人の中でわたしが最も尊敬してゐる人だと答へる。すると、何とNさんは松岡先生を囲んでいろいろな話を聞く催しなどにも関係してゐるといふのである。わたしはそれは何としても参加させて戴きたいと申し出ると、N木さんは君のやうな者が来れば松岡さんも喜ぶだらうと言つてくれる。わたしが小躍りして喜んだのは言ふまでもない。わたしの豹変に等しい満面の喜びの笑顔に一座の全員が驚いて一頻り話題にされたくらゐだが、九月に其の催しがあるといふのでとにかくわたしは有頂天である。
人との出会ひといふのは不思議なもので、N子と付き合ふやうになつてからかうしたことがよく起る。世界がどんどん広がつてゐるやうな気がするのである。わたしは其の場にゐたすべての人に、かうした形で知己を得たことの感謝を伝へた。
蔵の家での美食の果てに、松岡先生に会へる機会さへ与へられるとは。わたしは人との付き合ひ方、といふことはつまり「生き方」そのものを少しずつ変へつつあるやうだ。しばらくは此の流れに身を任せてみやうと思ふ。