パリの調香師

 『パリの調香師』という映画を観た。何とも言いようのない映画であった。

 試写会の券を貰ったので京橋まで行って来たのだが、出口で関係者にどうでしたかと聞かれて、「何とも…」としか答えられなかった。元調香師として気の利いたことを言おうにも、映画として少なくとも面白い作品ではなかったから、率直につまらなかったとも言えずに言葉に詰まったのである。

 主人公はかつて有名な香水を創っていた中年の女性調香師で、今はフリーとして洞窟の匂いや皮革の悪臭を和らげる香りの開発を「やらされている」。傲慢で人付き合いも悪く、嗅覚が繊細なだけに口うるさく嫌な感じの中年女である。香水や化粧品、あるいは香料業界に確かにいそうなタイプだけに、親近感ならぬ嫌近感を覚える。実際、何人かの女性調香師の名を即座に思い出したくらいである。

 その主人公アンヌは以前に嗅覚を失ったことがあり、それをきっかけとしてスターパフューマーの座から落ち、今は誰もやらないような仕事をやらされている。きゃら工房の吉武さんかプロモツールのやりそうな仕事を、れっきとした調香師がやるとは思えないが、それはともかく、今度もストレスと飲酒によって嗅覚を失ってしまい、雇ったヤモメの中年男性運転士ギヨームの力で立ち直りかける…というお話である。その二人が恋に落ちるわけではないところが格好いいと、貰ったパンフレットの解説には書かれていた。確かに魅力のないアンヌが急に色気づいても気色悪くなるだけだろうから、その点は評価できる。その二人の関係を「現代的」とも「バディ」ものとも評するのだが、わたしには二人の出会いによる「ケミストリー」のようなものが少しも感じられなかった。

 聴覚を失ったベートーヴェンによる作曲という、芸術と感覚や深い精神性とも関わるテーマはリルケも扱った興味深い問題だが、ではこの映画によって嗅覚を失った調香師が創香に向かうことへの思索が深まったかというと、まったくそんなことはない。多少なりともその辺の「ひねり」くらいは期待していただけに肩透かしの感がある。単にストーリー上栄光の座から落ちぶれる理由としてのみ「嗅覚喪失」が使われたようで、何とも「鼻が白む」思いである。

 確かに、単品の名前は出てくるし、調香師の実際の姿に近い見せ方はしている。エルメスなどの専属調香師が協力したと宣伝文句にあったから、それなりに期待していたのだが、あくまでも宣伝文句ということだろう。前に「スニッファー」というドラマの「香料指導」をしたことがあるが、要するに脚本や小道具のおかしな点がないかをチェックするだけで、主体的に発言できるわけもなく、この映画でも調香師はさすがに脚本に口を出すことも出来かねたのだろうと推測する。二人の主人公の描き方も表面的で内面をあまり感じさせず、ましてや他の登場人物も―雇用主やギヨームの別れた妻など-紋切型で少しも驚きがない。フランスでヒットしたとは信じがたいが、少なくとも日本では大して受けはしないだろうと思う。

 ずいぶん前に『パフューム』という映画が来たときにも、やはり試写会に呼ばれて月刊PLAYBOYに映画評を書いたことがある。こちらはジュースキントの小説が原作だし、匂いや香りをめぐる発想の広がりがあって面白かったし、映像も奇麗だったので、映画評論としてもいろいろ書けた。今回は批評を書く仕事がなくて本当に良かったと思う。こんなつまらない映画でも、それなりの提灯記事を書かねばならないとしたら大変な仕事である。私に券をくれた知人はパンフレットに解説を書いているのだが、改めて読むとその三分の二以上を映画とは関係のない香水業界のことに費やしているのも、苦しさの表われだと思う。同じく養老孟司も文章を寄せているが、こちらも苦しいのか、嗅覚についての御託と上記『パフューム』について触れた後で作品については「筋書に大きな起伏はなく、地味ではあるが、ヨーロッパらしい大人の人間関係を描く品の良い物語といえよう。」と述べるに留まっている。思いつく最大限の賛美といっていい。調香師云々の前に、映画としてどうしようもない代物であった。原題の『Les Parfums』も内容から考えると意味不明だが、邦題の『パリの調香師 しあわせの香りを探して』もかなりひどいと思う。香水や調香師にあまりフォーカスせずに、普通のフランス映画にしておけば、まだましだったように思う。少なくとも、騙された感は減ると思った次第である。