窒息

十月十八日(火)晴
職場での窒息感が強まっている。息苦しく頭が重い。自分がやっている仕事が無意味に思え、こんなことをやらされている自分は会社にとっても社会にとっても無用なのではないかという気になる。自分の感じ方や思いを共有して貰えそうな人は半径50メートル以内には誰もいないという孤立感。自分の価値観は否定され、今までで通って来た流儀はすべて冷笑で迎えられる。これ程までに職場の人間を嫌ったことは今までにない。嫌うというより、とにかく関わりを持ちたくない。会話を交わしたくない。逆に言えばこれまで職場の人間関係に恵まれすぎていたのかも知れない。今回ほど職場の人間に、自分が価値のないものとして軽んじられた経験がないのだ。確かに、たかが広報室の職員である。調香師として香りのプロとして働いて来た経験も知見もここでは無視というより軽蔑されている。調香師をクビになった「元調香師」として。
こんな状態だから家に帰っても何もやる気が起こらない。本も読めず物も書けない。そういう自分に苛立ち敗北感を覚え、鬱々として楽しむことがない。書斎は片付かないままで、テレビを見ることも音楽を聴くこともしない。野球が終わったのは夏の終わりとともに私に暗い影を投げかける。今日、元いた部署の本部長にSOSを発信した。このままでは窒息死しますと。今までの職場での私のキャラクターから、元気のないのは昔の同僚の前で見せるポーズだと思っている人も少なくないし、そして私も実際笑い話のように悲惨な職場の雰囲気を語っているのだが、本当にかなり危険なところまで来ているのだ。誰も心配はしてくれはしないのだが。
会社の人間というのは結局赤の他人で利害関係でしか結ばれていないのかも知れない。この前の演奏会も、大勢誘ったのだが結局誰ひとり来てはくれなかった。冷たいものである。もっとも、その演奏会自体、玄人筋にはボロクソに言われ、確かに人前で吹ける程の者でないことを痛感した。もう演奏会に出ることはしないと思う。今回も、出れば名前が貰えるという誘惑に負けたという側面もあり、尺八を自分は音楽としてやっているつもりはなく、あくまで修行のひとつとして吹くのだから、鍛錬を積むのはいいとして、人前で吹くことを目的とすべきではないのである。結局自分らしからぬ事をすれば必ずしっぺ返しは自分に戻って来る。蟄居して本を読むしか能も楽しみもない人間なのだと自覚すべきであろう。
どん底まで落ちると本来の自分に戻って来たように感じる。書物や文具が昨日よりは少しだけ近しい、親しみのあるものに見えて来る。そして、最初に書いたような不平不満が、傲慢な思いのようにも感じる。職を得て食べて行けるだけの給料を貰っているだけでも感謝すべきなのに、何を偉そうに不平を並べ立てるのだと。謙虚にならねばならぬ。すべては自分の愚かさが招いた結果であることを自覚し、その責任を黙って自分のものにしなければならないのだ。どれ程悲惨な境遇に落ちても文句を言えない立場であるのに、優しい妻に支えられて毎日を過ごせるだけでどれだけ感謝してもしたりない人間なのだ。何かが出来ると思っている点ですでに烏滸がましい。人生の無意味をきちんと覚知して心の中にしまっておくこと。その上で中庸に凡庸に平穏に日々を送ること。それだけを理想として生きるより他ないのである