佛道・修行・学道

京嫌い、再び

とにかく京都が嫌いである。京都が好きでよく行っていた自分に腹が立つ。京都の鼻持ちならない文化と風土に反吐が出る。酔っていたのである。浮かれていたのである。厚化粧の下にある、老いさらばえてなお色気づく醜悪さや堅実なようで見栄っ張りなところか…

コロナと穢

コロナウィルスの感染拡大は世界規模となり、大変なことになっているのは誰もが承知していることなので、そのことについて私がつけ加えることは何もない。ただ、今回の感染予防として取られた対策が、私に日本の触穢思想を思い出させたので、それについて少…

音楽といふもの

トッパンホールで開かれた神令尺八演奏会に行く。曲目は根笹派調・下り葉、越後三谷、布袋軒鈴慕、琴古流鹿之遠音、諸井誠作曲対話五題。最後の二曲は、それぞれ青木鈴慕、藤原道山との連管。破綻のない綺麗な音色である。プロの演奏と言ってしまえばその通…

声明

十月二十九日(土)陰 国立劇場に赴き声明を聴く。一時より真言宗高野山の四箇法要。観客の年齢層が異様に高い。恐らく平均で八十歳を越えているのではないか。四十代を含む我が家などかなり若い部類である。登場から法衣や所作を含む一切に目が釘付けになる。…

窒息

十月十八日(火)晴 職場での窒息感が強まっている。息苦しく頭が重い。自分がやっている仕事が無意味に思え、こんなことをやらされている自分は会社にとっても社会にとっても無用なのではないかという気になる。自分の感じ方や思いを共有して貰えそうな人は…

自省

昨日の日乗を読み返してみると、ずいぶんと不遜といふか傲慢なものの言ひ方である。はふつてをくと増長するわたしの悪い癖がまた出たやうだ。自分ひとりで勝手に生きてゐるやうな気持ちでゐるからああした表現になつてしまふ。諸縁によつて生かされてゐるこ…

無明の憂鬱

憂鬱である。突然何もかもが面白くなく、何もする気がなくなつてしまつた。脱力と憂鬱と落胆を混ぜ合はせ、其処に悲哀を振りかけたやうな水つぽい味気なさである。 杉花粉による目の痒みや鼻腔の不快感がトリガーになつてはゐるだらうが、それだけが原因では…

南師のこと

赤坂の豊川稲荷で開かれた「仏教・私流」といふ催しに参加。講ずるのは南直哉(じきさい)師、曹洞宗の僧侶である。其の名を知つたのはスマナサーラ師との対談『出家の覚悟』を読んでからだが、其の時の印象ははつきり言つてスマナサーラ師の引き立て役くらゐ…

出家か学問か

早くに家を出るつもりが結局十一時過ぎになつてしまつた。其れでも乗り継ぎが良く十二時過ぎには御茶ノ水に着いた。駅前の中華屋で炒飯を食べた後古本屋を一軒覗き、其れから聖橋を渡つて湯島聖堂に入る。場所は知つてゐたが訪ねるのは初めてである。昌平坂…