神と仏

ユリアヌスの願い

ユリアヌス帝が復興しようとしたのは、我々がギリシア・ローマの神話の神々として知るユーピテルやアポロンといった神に捧げる神殿と、そこで行われる祭祀や神託などである。コンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認と皇室資産のキリスト教会への寄付か…

キリスト教の勝利、或いは不寛容な世界の出現

「ローマ人の物語」第14巻『キリストの勝利』読了。ユリアヌスとテオドシウスという、方やギリシアの哲人を理想としてキリスト教徒の横暴を防ぎたい皇帝と、一方は完全にキリスト教に取り込まれて伝統的な多神教を禁じるに至った皇帝が登場する時代である…。…

一神教への吐き気

きっかけは、香料について旧約聖書を調べたことに始まる。高校時代に岩波文庫の『創世記』を読んで以来、たまに文学や歴史書などに参照された『詩篇』や『雅歌』の一節を聖書協会訳で飛ばし読みすることはあっても、まともに読んだことはなかった。それが、…

コロナと穢

コロナウィルスの感染拡大は世界規模となり、大変なことになっているのは誰もが承知していることなので、そのことについて私がつけ加えることは何もない。ただ、今回の感染予防として取られた対策が、私に日本の触穢思想を思い出させたので、それについて少…

声明

十月二十九日(土)陰 国立劇場に赴き声明を聴く。一時より真言宗高野山の四箇法要。観客の年齢層が異様に高い。恐らく平均で八十歳を越えているのではないか。四十代を含む我が家などかなり若い部類である。登場から法衣や所作を含む一切に目が釘付けになる。…

京都一日目

三月五日(土)晴 新横濱九時過ぎの新幹線にて京都に移動。烏丸三條の旅宿に荷物を置いてから徒歩尾張屋に行き蕎麦を食す。晝前に入つたので直ぐに座れたが出るころには長蛇の列であつた。暑いくらゐの陽気の中夷川通り寺町通りを歩み市役所前の廣場のベンチで…

奈良の雨

三月朔日(土)陰後雨 睡眠不足氣味ながら八時過ぎ宿を出で京都より近鐡にて奈良に赴く。十時過ぎ御一行到着し、車五台に分乘して唐招提寺に赴く。拝観の後興福寺近くの菊水楼に戻つて晝食をとる。美味也。其の場に神先生九州より到着し、午後は大和文華館に行…

氏神氏子

二月十日(月)陰 いつもの時間に家を出るが空いてゐたので一本早い電車で出勤。晝休みに下御霊神社に電話をして問ひ合はせる。即ち同社の氏子地域を知りたかつたのである。すると、西は堀川通りまで南は二条通り、北は出水通り、東は何と鴨川を越えて仁王門通…

盛り沢山

五月十二日(土)晴 九時半家を出で横浜高島屋にて岳母への母の日の贈り物を購ひ併せて余の鞄も求む。横浜より上野に往き新装成つた上野公園の木陰にて持参の弁当をN子と食す。晴天なれど風もあり日蔭はやや寒き程也。其れから東京国立博物館にてボストン美術…

絵で見る香り

十月二十八日(金)晴 三時過ぎ会社を出で上野に向かふ。東海道線内爆睡。上野公園口より徒歩東博に往き、平成館で呉昌碩の書画を見る。画や行書も確かに良いが、今回は篆書の般若心経に圧倒された。篆書とは古代中国人の世界認識が視覚化されたやうなものだか…

自粛と大祓

世の中「自粛」をめぐる賛否両論で喧(かまびす)しいが、わたしは基本的に、自粛を「触穢」や「物忌み」の現代版だと考へてゐるので、死や禍(わざわひ)を穢れと思ふ人たちは必然的に自粛をするのだらうと思ふ。要するに、穢れが自分に伝染するのを恐れて外出…

不都合な真実

驚くべき事がわかつて来た。 三月十六日にわたしは今こそ此の国難に対して全国の社寺が攘災護国の祈りを捧げるべきであると書いたが、其の後神社が何を為してゐるのかを調べるうち、極めて作為的としか解釈できぬ或る動向が浮かび上つて来たのである。端的に…

祈りに関する補足

此のブログに反響といふ様なものはないし、社会的な影響など殆どないものと思ふけれど、一昨日からの発言について誤解のないやうに少し補足をしてをく。 まず、石原発言の詳細を聞いた訳ではなく、如何なる意味で語られた事なのかも定かではないが、少なくと…

神仏の加護

昨晩は終戦時の玉音放送以来といふ天皇自らの国民に向けたメツセージに心動かされ、ややアジテーシヨンにも似たことどもを書き連ねてしまつたが、今朝少し冷静になつて「中外日報」といふ宗教界の専門紙のウエツブ版を覗いてみた。各宗門は自派の寺院の被災…

玉音に思ふ

天皇陛下のお言葉を端坐して拝聴す。正に有難き玉音なり。内閣といふ世俗権力に、此の国難を乗り切る能力も気概も覚悟もない事が明らかになつた今、国民統合の権威象徴として自らの存在を顕現させ給ひし陛下の大御心を我らは深く慮るべし。 無力な政府に期す…

お水取り

三月五日(土)晴 早朝出立。京都で神先生一行と落合ひ近鉄特急に乗り、十時半奈良着。車四台に分かれ唐招提寺、当麻寺を訪ぬ。奈良市内に戻り、神先生他男性四人で食事を取り、一人加はつて五人で十時前二月堂到着。内陣に入り修二会五日目の行事である過去帳…

佛教滅亡

保坂俊司著『インド仏教はなぜ亡んだのか』読了。インドに於いて佛教が滅んだ経緯をイスラム側の史料をもとに、比較文明論の手法と用語を使つて考察したもので、示唆に富む一冊である。今までの一般的な理解としては、イスラム教徒のインド侵略による佛教寺…

スマナサーラ長老

昨夜『佛説大乗造像功徳經』読了。佛陀在世中に初めて佛像が造られた顛末と、佛像を造ることの功徳を佛陀が説く大乗經典で、佛陀の時代は勿論其の後五百年以上に渡つて佛陀の像など刻まれることはなかつたといふ歴史的事実を無視した、全くの捏造經典である…

宗教経済学

息抜きに読み始めた『寺社勢力の中世』(伊藤正敏著ちくま新書)が面白い。教科書的な日本史では文化や思想或いは政治との絡みでしか出てこない中世の比叡山や興福寺、高野山といつた寺社すなわち宗教勢力の実力の程を、其の経済的な側面を踏まえて説き明かし…

テーラワーダ佛教

往き返りの電車の中で読んでゐた青木保著の『タイの僧院にて』を読了。名著として名高い本だが、タイの上座部佛教での読經の様子が知れるのではないかといふ期待もあつて初めて読んだ。明確には書いてゐないけれど、すべての読經を佛像を前にしてするわけで…

佛塔・經典・佛像

図書館にて「インド・マトゥーラ彫刻展」の図録を借りて見るに、佛塔の装飾から佛像に至る過程を具に確認でき、図像学的な面白さも感じて興趣尽きず。佛塔は全く以て不思議なものにて、佛舎利即ち佛陀の遺骨崇拝に始まるものと思ひたりしがさまで単純なもの…

佛像の見方の変遷

一月四日(火)晴 余嘗て佛像を信仰の対象として祈り見んと欲して終に佛教の信仰に到り得ず、更に美術藝術作品として眺めんと試みて、ギリシア・ローマ彫刻或いはルネッサンス以降の西洋彫像の美を数多目にするに及んで、却つて佛像に対する興味を失ふ。今漸く…

經行と陀羅尼

法華経譬喩品を読んでゐて佛前読經を考へる上でのヒントとなりさうな語句を見つけた。漢文で「經行」と書かれるものだが、該当する箇所の植木雅俊によるサンスクリツト語からの現代語訳では「そぞろ歩き」となつてゐる。經行(きやうぎやう)とは梵語チヤンク…

辟支佛

造像功徳経を読んでゐて見知らぬ言葉にぶつかつた。辟支佛といふもので、辟や支の文字を漢和で引いても出てゐない。単語でなく文として支を動詞として読まうとしても意味が通じない。ところが、法華経を読んでゐたら同じ言葉が出て来て注釈もあつた。それに…

仏前読経問題其の後―1

わたしが今考究してゐる此の問題に興味を示してくれたのはまだ二人しかゐないけれども、わたしの探究心はさらに強くなつてゐる。アプローチとしては、読経の歴史と仏像の成り立ちといふ二つの方向が考へられやう。読経の歴史を調べることは当然経典そのもの…

涅槃の後

十二月九日(木)晴 昨夜『ブッダ最後の旅』(岩波文庫/中村元訳)読了。直接の死因となるキノコを出した者への仏陀の思ひ遣りや、近くに仕へたアーナンダに対する最後の言葉には胸を打つものがあり、読み終へると同時に大きな喪失感を覚へるのはブッダの偉…

読経道と虎関師錬

十二月五日(日)十一時より赤坂報土寺にて父方の伯母の一周忌法要。真宗大谷派の寺だが、だうも浄土真宗の読経や作法は好きになれない。浄土三部経の阿弥陀経を誦したのだが、変な節がついて耳に馴染まない。若い副住職はへらへらして落ちつきがなく、仏の…

大学ノート

仏前読経問題を考究するため仏教思想の勉強を進めてゐる。『読経の世界』と末木文美士の『仏典を読む』、それに岩波文庫のゴンダ著『インド思想史』を併行して読んでゐる。図書館で借りた『読経の世界』は面白いので結局ネツトで古本を注文した。見えて来た…

仏前読経の謎

十一月二十九日(月)晴 通信読者の知人から、七十一号のわたしの疑問に答えてゐる本があると教へられて早速読んでみた。苫米地英人著『お釈迦さまの脳科学』といふ本である。此の苫米地といふ御仁、経歴や肩書きはかなり胡散臭いのであるが、平易な語り口な…

八幡神と神仏習合

十一月二十二日(月)陰後雨 十七歳の時、関西から夜行急行で九州に入り、朝早く宇佐の駅に降り立つた。駅名板にローマ字で「USA」とあるのが面白く、帰つたら友達にUSAに行つて来たと自慢しやうと思つてゐた。歩いて宇佐神宮に向ふ。朝靄の中鬱蒼たる…