涅槃の後

十二月九日(木)晴
昨夜『ブッダ最後の旅』(岩波文庫/中村元訳)読了。直接の死因となるキノコを出した者への仏陀の思ひ遣りや、近くに仕へたアーナンダに対する最後の言葉には胸を打つものがあり、読み終へると同時に大きな喪失感を覚へるのはブッダの偉大さ故か。長谷川等伯の巨大な涅槃図始め見慣れたブッダ入滅の光景が改めて目に浮かぶ。覚者が終に完全な涅槃に入られたのである。生前を見知つた人々にとつて其の事実はどれ程の衝撃であつたことか、想像を絶するものがある。寂静に先立ち仏陀は自分の火葬の方法や其の後の仏舎利の扱ひについて指示を与へてゐる。其れを読む限り仏陀は在俗の信者にブッダの遺骨、即ち仏舎利を祀るストゥーパ(=塔)の建設を許し、其の塔を崇拝することも認めてゐる。花や香、それに顔料を其処に供へて、此処があの修行完成者のストゥーパであると思へば心が浄らかに幸せになるとまで言ふ。卒塔婆信仰が確立した後の記述なのであらうが、其の一方で修行者には葬儀に関与することも、塔を崇拝することも禁じてゐるのである。修行者はあくまで自らのさとりに向つて修行に精進すべきであると教へたのだ。現在の日本の仏僧は、何と其処から遠く隔たる姿と成り果てたものか。其れは歴史の加重が働いた結果でもあるのだから、単純に非難をするつもりはない。ただ、二千五百年といふ時間の流れに思ひを致すとき、我々は茫然とせざるを得ない。いずれにせよ、仏像も仏典も出現してはゐない仏陀入滅直後には、少なくとも原始教団に属する修行者は、仏舎利塔に向かつて崇拝の言葉を読誦することはなかつたであらうことは確かである。其処から仏教がどのような変容を経て仏像を向いた読経といふスタイルに至るのか、ブッダの死から始まる壮大な物語がスタートする訳である。仏舎利塔から寺院僧院が派生し塔の代りに仏像が刻まれるのか、或いは仏典の整備に伴ひ読経の対象として塔から仏像へと移行してゆくのか、まだ分からない事ばかりであるが、アジア全体の宗教や社会の変動の歴史に巻き込まれる形で事態は進行して行つたに違ひない。一方で、勿論仏教に先行する古代インドの諸宗教の影響もあつたであらう。何とか、其の過程の全体像を辿りたいものである。