幻住庵と城南宮

十二月十日(金)晴
早朝家を発ち新幹線にて京都に向ふ。午前中京都市内にて用談を済まし、昼前車にて大津の幻住庵に赴く。松尾芭蕉かつて此の地に逗留し『幻住庵記』をしたたむ。余二十歳の頃此の書を読み、以来訪ねむことを期すも果せず。今三十年の後此の地を踏む、感慨少なからず。市街から離れた国分山に近津尾神社と接して在り、中腹の駐車場に車を停めて冷んやりとした山道を登る。途中に芭蕉手ずから米を漱ぎしといふ「とくとくの泉」も今に残り、周囲の山林も往時を偲ぶに足る侘びたる景色也。山頂近くに建つ庵其のものは平成の再建にて往時の再現とは言ふものの細部は疑はしきものあり。ただ場所は確かに此の辺りなりと独りで庵を守る老翁の言也。庵内に上るも寒ければ須臾にして辞す。嘗て伊賀上野芭蕉所縁の蓑虫庵を訪ねし時も同じやうに寒かりし事を思ひ出したり。余は左程芭蕉に心酔する者にはあらざれども、日本国内を旅すれば自ずと蕉翁の足跡に接す。月山然り、平泉然り。其処に今日幻住庵が加はる也。



【幻住庵と「とくとくの泉」】

再び山道を降り車にて名神高速道路経由で京都南ICに至り、出てすぐの城南宮に之く。京都市内から離れ(実際、離れてゐたからこそ院政期に鳥羽離宮の在りし処也)わざわざ足を運びにくき所なれば訪ねることもなかりしが、偶々今回出張にて通る経路の途上なるに気づき営業のМ君に無理を言つて立ち寄る事を得たるもの也。広い駐車場に車を止め、興味なしといふМ君を残し独り本殿に歩む。日月星の「三光の紋」も珍しく、平地の神社なれば神域の雰囲気に乏しきものの拝殿本殿など立派なり。但し目当ては神苑にて、平安神宮と同じく本殿の廻りをぐるりと周遊する形にて、春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭と名づけて各々趣向を凝らした造作也。本殿裏春の山付近は工事の音喧しく興醒めなるも、春秋に曲水の宴が催されるといふ平安の庭に到れば気にならず。室町の庭の池を望む処に茶室楽水軒があり抹茶を喫す。白衣朱袴の巫女姿の女性に茶を供せらるるは初めての事なり。午後の陽光温かく一時の閑雅を得る。散り残りたる紅葉もあり晩秋の余香を愉しむ。神苑を出で駐車場に戻る道の生垣の椿見事なり。顔を近づければ芳香馥郁たり。通りかかりたる巫女に椿の種名を訊ぬるに知らずと云ふ。余も迂闊にて今まで椿に彼ほど芳香あるものを知らず。是非調べてみたきもの也。


【三光の紋と室町の庭】

【椿】

車に戻り、まだ時間に余裕のあれば、近くの鳥羽離宮跡に往く。白河上皇により築かれし離宮にて、其の後院政期には御所よりも此の地が政事の中心たりしこともありといふ。今は名のみ残りて往昔を偲ぶ便だになき公園となり、ただ戊辰戦争の発端となる鳥羽伏見の戦ひに関する石碑が築山に在るのみ。城南宮から御香の宮に掛けて幕軍と薩長軍が合ひ対峙すといふ。周囲を一巡して、今度は一路奈良法隆寺に向け車を走らす。夕方の用談を終へ法隆寺駅までМ君に送つて貰ひ、余は独り電車にて奈良駅に行く。実に二十年ぶりの奈良にて駅周辺の変はり果てたる姿に驚く。駅から高畑町の宿まで四十分近くかけて歩く。周囲に店もなく宿の近くの蕎麦屋も七時にして既に暖簾を下げたれば、宿の者に聞き徒歩十分ほどの処にあるコンビニエンスストアまで行き夕食と明日の朝食を購ひて宿に戻る。余嘗て高等学校に通ひし頃奈良に遊び此の高畑町から遠からざる宿坊に泊まりたることあり。遅くに着きたれば食事の用意なく、已む無く外に買ひに出るも今と違ひコンビニなど無い時代なれば、住宅街の中に既に閉めた店屋の戸を叩きて開けて貰ひ、売れ残りたるジヤムパンなど買ひ求めて空腹を凌ぎたることあるを図らずも思ひ出す。三十年以上前の事とは言へ、時代の違ひを痛感して苦笑を禁じ得ず。大浴場にて入浴の後十時就寝。