佛前読經問題

連酒

三月二十五日(水) 有給休暇消化の爲本日も休む。上野の東京國立博物館に往き『インドの佛』展を觀る。舊名カルカツタ、現在はコルタカと表記される都市の博物館所蔵品を展示するものにて表慶館にて開催さる。佛像出現以前の法輪の彫刻等面白く觀る。上野より…

花粉と述懐

三月十二日(木)晴 今年の花粉は酷い。花粉症向けのゴーグルのやうな眼鏡をしてゐるのに目が痒くてじつとしてゐられない程である。鼻や喉は痒いといふより痛い。春が憂鬱な季節になつてから久しい。梅が咲き柳が芽吹き水が温み始める時期に心から喜びを感じ得…

スマナサーラ長老

昨夜『佛説大乗造像功徳經』読了。佛陀在世中に初めて佛像が造られた顛末と、佛像を造ることの功徳を佛陀が説く大乗經典で、佛陀の時代は勿論其の後五百年以上に渡つて佛陀の像など刻まれることはなかつたといふ歴史的事実を無視した、全くの捏造經典である…

テーラワーダ佛教

往き返りの電車の中で読んでゐた青木保著の『タイの僧院にて』を読了。名著として名高い本だが、タイの上座部佛教での読經の様子が知れるのではないかといふ期待もあつて初めて読んだ。明確には書いてゐないけれど、すべての読經を佛像を前にしてするわけで…

二重生活

高田修『仏像の誕生』(岩波新書)読了。併せてマトゥーラ展やインド彫刻展の図録、そして町田甲一の『仏のみち』『東洋美術史概説』を参考にしつつ読んだので、佛像誕生の経緯や展開についてのおおよその把握はできるやうになつた。おおまかに言つてしまへば…

彫刻の遍歴

佛像の歴史を追ふために、先日たまたま目にした「インド・マトウーラ彫刻展」の図録を図書館で借りた。それを見ると展覧会自体は2002年の秋冬に東京国立博物館で開かれたもののやうだ。その時分にわたしは日本に居なかつたので見てゐないが、もし居たとして…

佛塔・經典・佛像

図書館にて「インド・マトゥーラ彫刻展」の図録を借りて見るに、佛塔の装飾から佛像に至る過程を具に確認でき、図像学的な面白さも感じて興趣尽きず。佛塔は全く以て不思議なものにて、佛舎利即ち佛陀の遺骨崇拝に始まるものと思ひたりしがさまで単純なもの…

佛像の見方の変遷

一月四日(火)晴 余嘗て佛像を信仰の対象として祈り見んと欲して終に佛教の信仰に到り得ず、更に美術藝術作品として眺めんと試みて、ギリシア・ローマ彫刻或いはルネッサンス以降の西洋彫像の美を数多目にするに及んで、却つて佛像に対する興味を失ふ。今漸く…

經行と陀羅尼

法華経譬喩品を読んでゐて佛前読經を考へる上でのヒントとなりさうな語句を見つけた。漢文で「經行」と書かれるものだが、該当する箇所の植木雅俊によるサンスクリツト語からの現代語訳では「そぞろ歩き」となつてゐる。經行(きやうぎやう)とは梵語チヤンク…

辟支佛

造像功徳経を読んでゐて見知らぬ言葉にぶつかつた。辟支佛といふもので、辟や支の文字を漢和で引いても出てゐない。単語でなく文として支を動詞として読まうとしても意味が通じない。ところが、法華経を読んでゐたら同じ言葉が出て来て注釈もあつた。それに…

仏前読経問題其の後―1

わたしが今考究してゐる此の問題に興味を示してくれたのはまだ二人しかゐないけれども、わたしの探究心はさらに強くなつてゐる。アプローチとしては、読経の歴史と仏像の成り立ちといふ二つの方向が考へられやう。読経の歴史を調べることは当然経典そのもの…

涅槃の後

十二月九日(木)晴 昨夜『ブッダ最後の旅』(岩波文庫/中村元訳)読了。直接の死因となるキノコを出した者への仏陀の思ひ遣りや、近くに仕へたアーナンダに対する最後の言葉には胸を打つものがあり、読み終へると同時に大きな喪失感を覚へるのはブッダの偉…

読経道と虎関師錬

十二月五日(日)十一時より赤坂報土寺にて父方の伯母の一周忌法要。真宗大谷派の寺だが、だうも浄土真宗の読経や作法は好きになれない。浄土三部経の阿弥陀経を誦したのだが、変な節がついて耳に馴染まない。若い副住職はへらへらして落ちつきがなく、仏の…

大学ノート

仏前読経問題を考究するため仏教思想の勉強を進めてゐる。『読経の世界』と末木文美士の『仏典を読む』、それに岩波文庫のゴンダ著『インド思想史』を併行して読んでゐる。図書館で借りた『読経の世界』は面白いので結局ネツトで古本を注文した。見えて来た…

仏前読経の謎

十一月二十九日(月)晴 通信読者の知人から、七十一号のわたしの疑問に答えてゐる本があると教へられて早速読んでみた。苫米地英人著『お釈迦さまの脳科学』といふ本である。此の苫米地といふ御仁、経歴や肩書きはかなり胡散臭いのであるが、平易な語り口な…