二重生活

高田修『仏像の誕生』(岩波新書)読了。併せてマトゥーラ展やインド彫刻展の図録、そして町田甲一の『仏のみち』『東洋美術史概説』を参考にしつつ読んだので、佛像誕生の経緯や展開についてのおおよその把握はできるやうになつた。おおまかに言つてしまへば佛塔や佛伝図といふ前提に、ギリシア・ローマ美術の影響が加はることによりガンダーラに佛陀の像が生まれ、其の情報によりマトウーラで其れまでのインド固有の美術様式の発展として佛像が作られるやうになつたといふことであらう。一世紀末から二世紀初頭の出来事である。今まで禁じられてゐた佛陀の像を刻み始めるといふ宗教史上の大転換の理由は本来「美術史」からは分からないのだが、一方で文書として其の辺の事情が書かれたものもないから、具体的な彫刻やレリーフを読み解きながら推論を組み立ててゆく必要があり、暫くは「インド美術史」の中にヒントを探るより他はなささうである。此の為の読書は図版や図録を拡げる必要もあり、美術書を取出しやすい書斎で行ひ、一方で進めてゐる、佛塔や佛像に就いて言及のある佛典(法華経を含む)の読解は嶺庵で正座して行ふことにした。ところが、書斎すなはち飄眇亭は、石油ストーブで暖めると暑くなりすぎてすぐに眠くなり、また周囲に色々な本がありすぎて気が散つて今ひとつ集中できない。嶺庵だと多少寒いのと正座で足が痺れるのが難だが、香でも焚きながら静かに読み進めることができる。ただ、佛典についてはすでに「美術史」の方で引用されたものの原文に過ぎないのと、佛像が一般化した後の成立が殆どだから、新たな発見といふやうなものはなくて、とにかく読み続けることで一種の「演習」のやうに、漢文佛典の読解力を身につけ、同時に佛教の基本概念を学ばうといふ思ひなのである。遅々たる歩みではあるが、佛への道を少しずつでも辿るより他はなく、今は其れが楽しいのである。