彫刻の遍歴

佛像の歴史を追ふために、先日たまたま目にした「インド・マトウーラ彫刻展」の図録を図書館で借りた。それを見ると展覧会自体は2002年の秋冬に東京国立博物館で開かれたもののやうだ。その時分にわたしは日本に居なかつたので見てゐないが、もし居たとしても見に行つていたかは疑はしい。当時は佛像、ましてや印度の佛像になど全く興味を持つてゐなかつたからである。
図版も解説も参考になるので手許に持つて置きたくなり、もしやと思つて今日帰りに大船の古本屋に寄つてみると、同じものはなかつたが「インド古代彫刻展」の図録があり、五百円で一部マトウーラ展と同じ彫像も載つてゐるし、此方の方が扱ふ範囲も広いので購入した。家で早速開いて見ると1984年の3月から5月の連休にかけて、やはり東博で開かれた展覧会の図録である。これを見るうち、ふと先日の書斎整理の際に久しぶりに眺めた大量の絵葉書の中に見たものがあるやうな気がして再び絵葉書を引張り出してみた。わたしは昔から美術展や美術館に行くとよく絵葉書を買つてゐたのである。それを見ると、わたしが行つたのはインド展とほぼ同時期に今はなき池袋の西武美術館で開かれた「パキスタンガンダーラ美術展」であつた。インド展にはガンダーラの彫像も僅かながら出展されてゐたのである。ガンダーラとマトウーラは倶に佛像誕生の地として有名なところである。
1984年といふ此の時期、まだ学生だつたわたしが、何故インドでなくパキスタンの方に行つたかを考へてみると、今となつては其の理由が明白なやうに思へて我が事ながら面白い。と言ふのも当時のわたしは今と違つて完全な西洋美術崇拝者だつたからである。もしかすると、此の1984年の春といふのはわたしが最も西欧かぶれ、或いはギリシア・ローマ崇拝者だつた時期かも知れない。
この年の2月から3月にかけて約40日間、わたしは生まれて初めての海外旅行としてひとりでヨーロツパを旅して来た。イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、ギリシアを訪ねた。フランス文学を専攻し、一方で西洋美術に強い関心を持つてゐたわたしは、この旅によつてさらに「ヨーロツパ」なるものに魅了された。特に古代ギリシア・ローマの遺跡や美術作品を直接目にした印象は強く、西洋美術の源流としてのギリシア・ローマへの敬意と憧れが極めて高かつたこの時期に、インド的或いはヒンドウー的な彫刻の展覧会ではなく、ギリシア彫刻の影響の色濃い極めて西方的なガンダーラの佛像を見に出掛けたといふのも、自分として成程と頷けるのである。
今回の佛前読經問題によつて久しぶりに佛像と向き合ふやうになつて、偶然の連鎖のやうな形で1984年といふ年について思ひ巡らせてみると、すつかり忘れかけてゐたのだが、わたしは昔からかなり彫刻といふものを好んできたことに気づかされる。そもそもこの年の春休みにヨーロツパ行きを思ひ立つたのも、前の年に履修してゐた西洋美術史の授業で見たフイレンツエのブルネレスキやドナテルロの彫刻や浮彫の本物を是非見たくなつた事が大きい。当時は今ほど気安く海外に行ける時代ではなかつたので、わたしは一世一代の大旅行とする覚悟で見たいものを綿密に調べてから出掛けた。イタリアを訪ねるに当つてはゲーテの『イタリア紀行』を読んで、行く場所を絞り込むと同時にゲーテと倶にイタリアへの憧れを膨らませていつたのである。ゲーテの好奇心の幅は広いが、わたしはその中から特に建築と彫刻の部分を大いに参考にした。『イタリア紀行』を読まなかつたらパラデイオの建築で有名なビチエンツアといふ町など行く事はなかつたであらう。わたしはこの町で、当のヨーロツパ人自身が持つてゐた古典ギリシアに対する憧憬に触れる思ひで、ますますギリシアへの思慕が高まつたのである。
二度と来られぬと思ひ定めてゐたのであらう、1984年のこの欧州旅行でわたしは大量の図録を買ひ求めた。ドナテルロやミケランジエロ、ベルニーニといつた彫刻の大家の図録はもちろん、フイレンツエのウフツツイ美術館やピテイ宮殿、ヴエネツイアのアカデミア美術館、アテネ国立博物館の図録、それにラフアエルロ、カラバツジオやガウデイの作品集といふやうなものまで、今書棚に残るそれらを見ると、こんなに沢山の本をだう持ち運んで旅してゐたのか不思議なくらゐである。久しぶりにそれらを眺めてゐると、それらの本物に接した当時の興奮が蘇つて来る思ひがする。今でこそ日本の文化・美術や佛教にばかり集中してゐるわたしだが、本当を言へば西洋の美術、建築、文学或いは文化一般に対してずつと憧れ続けて来たのである。
だから、1984年当時のわたしにとつて、マトウーラの佛像より、ギリシア彫刻に通ずるものがあるガンダーラ彫刻の方が親しみやすかつたのであらう。二十七年を経て事態は全く逆転して、今のわたしにはマトウーラの佛像の方が遥かに興味がある。単に「美」といふことであれば、今もわたしは古代ギリシアの、特にアテネ国立博物館で見たやうな彫刻やレリーフを何よりも愛するけれども、マトウーラの佛像は、其処に佛教の信仰の形やその変容を読みとるといふ目下最大の関心事に関つてくるのだから、面白くて仕方がないのである。
佛塔の周囲の装飾として佛陀の生涯を描きながら、敢て佛陀の姿を作らず空白にして置いた初期の佛教美術から、どのやうに佛陀の姿が刻まれるやうになり、其れに併せて佛教といふ宗教自体がどのやうに変容することで佛像の前で読經をするやうになつたのか…。これは西洋美術に対する憧れと対極にある、日本人としてのわたしの根から発せられた渇きにも似た「問ひ」であらう。ギリシア的な「美」に憧れと賛美は覚えながら、それはあくまで「他者」の起源でしかなかつたのに対し、インド的なものの中には、今の自分のものの感じ方や考へ方の根源を感じるといふことでもあらう。どうやら、彫刻を巡る長いオデユツセイの果てに、わたしはマトウーラに行き着いたやうである。