佛像の見方の変遷

一月四日(火)晴 余嘗て佛像を信仰の対象として祈り見んと欲して終に佛教の信仰に到り得ず、更に美術藝術作品として眺めんと試みて、ギリシア・ローマ彫刻或いはルネッサンス以降の西洋彫像の美を数多目にするに及んで、却つて佛像に対する興味を失ふ。今漸くにして佛像に其の造像されし時々の宗教観念や信仰の有様を探り、其の変遷の中に佛教思想の展開や民衆信仰の変容を読取る手立てとしての関心に行着く。況してや佛前読經問題を考へる上で佛像の意義来歴含意位置づけ等を知る事の不可欠なるを知り、俄に興味の高まるを覚ゆ。佛像の起源は佛塔或いは佛舎利塔にあり、佛像は其の佛塔を巡る壁面を飾る装飾レリーフから派生せしものなることは先の『ブツダと仏塔の物語』からも推測されるものの、未だ佛前読經に直接繋がる起源は明らかならず。黎明期の佛像は寧ろ説法をする釈迦の姿たりし例もあり、其れに向つて読經するとは到底思へぬものの、一方で佛塔建立の寄進者の名の中に「經典を読誦する者」とか「經師」といふ言葉も見え、佛塔への読經の事実もあつたかも知れず、抑々火葬の習慣や遺骨崇拝といふ民俗宗教学的な問題も考へてみなくてはならず、中々探求の筋道をつけるのが難しい。其れにしても知れば知るほど、我々が当り前のものと思つてゐる大乗佛教とは一線を画する上座部の佛教思想に対する興味が湧く。釈迦の本来の姿に戻らうとした道元が、大乗といふ発想を捨て切れぬままだう禅の思想を深めて行つたのかといふ興味とも重なり、勉強すべき事はまだまだ沢山あるやうである。