佛塔・經典・佛像

図書館にて「インド・マトゥーラ彫刻展」の図録を借りて見るに、佛塔の装飾から佛像に至る過程を具に確認でき、図像学的な面白さも感じて興趣尽きず。佛塔は全く以て不思議なものにて、佛舎利即ち佛陀の遺骨崇拝に始まるものと思ひたりしがさまで単純なものに非ず。バラモン教始め古代インドの神話・宗教思想に就いても理解を深めざれば真相を解し得ざらむ事を理解し始む。佛塔は後に佛舎利の代りに經典其の物を収めて崇拝することも始まり、佛像と並んで崇拝の対象となるといふ。經典への崇拝は「物」としては佛塔に収められ、「音」として読經され佛像に捧げられるに至る訳にて、佛前読經問題は益々錯綜して、今はインドの宗教観や部派佛教への関心弥増すを覚えたり。今の世に「遅読」を勧める向きがあると聞くも、余の今の状況はひとつの事を探求する為始原に遡れば遡る程脇道に逸れ脱線に次ぐ脱線で本流を忘れ兼ねぬ遅読に似たものならん。是或いはデイレツタントの愉楽の極みとも云ふべきか。