出家か学問か

早くに家を出るつもりが結局十一時過ぎになつてしまつた。其れでも乗り継ぎが良く十二時過ぎには御茶ノ水に着いた。駅前の中華屋で炒飯を食べた後古本屋を一軒覗き、其れから聖橋を渡つて湯島聖堂に入る。場所は知つてゐたが訪ねるのは初めてである。昌平坂を上り神田明神前のビルの四階に登り、東方学院に到り受付で今年の四月からの講義要項を貰ふ。ネツト上のサイトでは昨年七月以来更新がなく埒が開かないので直接行つてみるとやはりすでに出来上がつてゐた。
神田明神の中を抜け階段を下りて蔵前橋通りに出で本郷三丁目に向けて裏通りを歩む。交差点近くの東大仏教青年会には一時二十分に着く。其処で一時半より「東京国際仏教塾」の入塾説明会が開かれるのである。会場は程よく埋まり、わたしは前から二列目の中央の席に座ることができた。参加者は年配の方が多いが、中には若い人もゐるし中年の女性の姿もある。今度で二十四期目になるといふ一年間に渡り仏教を学ぶ塾であり、特定の宗派に偏らずに仏教の全体像を摑むことを目的とする。
前半の四月から十月は文字通り入門過程で二度に亘る二泊三日の修行を含み、宗教概論、仏教概論、大乗仏教論と日本仏教史のレポートが義務づけられる程度。後半の十一月から三月にかけては、各自の希望する宗派についての専門課程で延べ十日の実習があり、是を終へると在家得度できる。
ところが実際には此の過程を経て出家して僧侶になる者も少なくないといふ。寺の子として生まれた者でない場合、僧侶になりたくてもだうしたら成れるものなのかわからないし、飛び込む勇気もなかなか持てない。ところが年配になつてやはり出家の念止みがたくといふこともあらうし、まずは仏教について知りたいと思ひ、次第に出家を志すやうになるといふこともあらう。此れまで専門課程を終へた人の半数近くが出家したとのことである。
説明に立つた真宗の僧侶が、かつてわたしが高校生の頃に何度か通つたことのある「なむの会」にも関つてゐたといふので懐かしい思ひがした。わたし自身そのやうな会に出てゐたことをすつかり忘れてゐたのだが、此れは原宿にある「なーむ」といふ喫茶店に集つて僧侶や仏教学者などの話を聞く催しで、確か「ぴあ」で見つけて行つたのである。三十年以上前の話だが、其の後の自分の紆余曲折の末にまたかうして仏教に戻つて来たのかと思ふと感慨深くもあり、不思議な気持ちにもなる。
さて、此の仏教塾と東方学院のどちらを取るかがわたしの当面の問題である。東方学院は中村元博士が始めた学院及び研究機関であり、在野にあつて其のレベルはかなり高い。ただ、一番学びたいパーリ語入門講座は毎週月曜午後四時からであり其の他も大抵は平日の昼間の講義なので、流石にサラリーマンとしては無理である。もつとも、土曜には尺八の稽古で都内に出るから午後にある中観の講義など聴講することは可能である。
一方の塾の方は、参加者の意図や目的、そして仏教に対する知識もばらばらな感じがあり、果たしてわたしにとつて意義や価値があるのか不明なのも事実である。もともとが、還暦や定年を機に仏教に親しんで貰ふといふ趣旨で始まつた事もあり、立派な講師を迎へてはゐるけれど、レポートの課題を見ても学問的な意味ではレベルはさう高くはなささうである。しかし一方で、出家への糸口が見つかるかも知れぬといふ点と、基礎でもとにかく一度仏教の全体像を学習・体験することの大切さといふ点で魅力は感じるのである。
仏説や經典・佛教思想史への興味は捨て難いし、一方で実践して縁があれば出家したいとは思ふものの、学問と修行実践のバランスが自分の好みに合はないやうだとなかなか踏み切れない。勝手な話ではあるのだが、今のところは其の程度の覚悟しかないのである。
また、既存の各宗派教団に対する批判といふか、釈然としない気持ちもないわけではなく、テーラワーダを知ることによつて芽生えた大乗佛教に対する疑問をまずは自分の中で決着をつけるまではとても出家など出来はしないであらうことも分かつてゐる。
佛教塾か東方学院か、或いは其の両方か。さてだうしたものか。しばらくは悩むことになりさうである。ただ、これ等以外にも実は經典や佛教に関する無料や無料に近い講習会・勉強会の類は到るところで開かれてをり、来週は其のふたつに夜出かけてみるつもりでゐる。各種勉強会と坐禅会に参加し、自分で読書を進めれば其れで事足りる気もしないではない。
まあ、いろいろ試行錯誤して此の四月以降の自分の進む方向を決めたいと思ふ。会社はいつ辞めても悔いはないが、出家するとすれば禅宗系になるだらうから修行期間を考へると年齢・体力的なこともあつて早い方がいいのも確かである。
東大仏教青年会を出て、本郷三丁目交差点近くの古書肆大學堂に寄り二書を購ひ、再び御茶ノ水まで歩いて国鉄で帰宅。今月はちよつと本を買ひ過ぎてゐる。
今月購入した本。・印は読了。
・「インド仏教の歴史」竹村牧男。講談社学術文庫
ブッダのことば パーリ語仏典入門」片山一良。大法輪閣
・「日常生活の中の禅」南直哉。講談社メチエ
「原始仏典 1」春秋社
「『正法眼蔵』を読む」南直哉。講談社メチエ
・「戒名と日本人」保坂俊司祥伝社新書
・「葬式は、要らない」島田裕己。幻冬舎新書
「葬式仏教」圭室諦成。春秋社
「僧兵」衣川仁。講談社メチエ
「仏教瞑想論」蓑輪顕量。春秋社
「宗教で読む戦国時代」神田千里。講談社メチエ
「禅僧たちの室町時代」今泉淑夫、吉川弘文館
「自ら確かめるブッダの教え」スマナサーラ大法輪閣
「入唐求法巡礼行記」圓仁。中公文庫
「紫の履歴書」美輪明宏。水書房
「日本の工匠」伊藤ていじ。鹿島出版会
「団扇の画」柴田宵曲岩波文庫
「尾崎放哉句集」岩波文庫
言論統制佐藤卓巳中公新書
「寺社勢力」黒田俊雄。岩波新書
「本覚思想批判」袴谷憲昭。大蔵出版