読経道と虎関師錬

十二月五日(日)十一時より赤坂報土寺にて父方の伯母の一周忌法要。真宗大谷派の寺だが、だうも浄土真宗の読経や作法は好きになれない。浄土三部経阿弥陀経を誦したのだが、変な節がついて耳に馴染まない。若い副住職はへらへらして落ちつきがなく、仏の心より先にまず遺族の気持ちを学ぶべきやうに思ふ。同寺で会食の後両親を車で実家に送り届けてから帰宅。夜図書館で借りて来た『読経道の研究』を読む。面白い。茶道や華道の成立より遥かに前から、「読経」は芸道化してゐたのである。其れも寺院内に伝へられた声明とはまた別の形として発展したらしい。虎関師錬の『元亨釈書』にも其の記載があるといふ。此の虎関師錬といふ学僧の名前が好きである。大変な碩学なのであらうが、名の字面と音の響きに茶目つ気がある。ちなみに「こかんしれん」と読む。今年の五月に東福寺で師錬の墨跡に接する機会があつたが、明らかに黄庭堅の影響を受けた書体であり、其れも気に入る理由である。後は佐久間象山の書にも黄庭堅の風が見て取れる。象山の書幅を大原で見てさう思つたが、果たしてさうなのか、其の後調べてもみないので不明のままだ。