予告の實現

十一月十五日(木)晴
昨日記せし古裂會の落札不落札の顛末につき纏めたので下記に掲げる。

不落札顛末記
京都に古裂會といふ会社があつて年に數囘骨董品のオークシヨンを主宰してゐる。ぶ厚いカタログが送られて來て、それを見て期日までにフアツクスで入札をする仕組みで、當然最高の値をつけた者が落札する訳である。眞贋の保證はせずといふ事もあり、全般にカタログに示されてゐる最低価格は安く、中にはとても本物とは思へないものも混じつてゐる。知人の紹介があつて余の許にもカタログが届くやうになり、見てゐるだけでも十分樂しめるのだが、前囘佐久間象山の書幅が出品されてゐて、手の届かない額ではないので入札してみたら案外あつさりと落札してしまつた。届いて嶺庵に掛けてみると、矢張り中々に良いものである。但し晩春に書かれた漢詩なので季節はずれなのが殘念であつた。ところが十月半ばに送られて來た今囘の第六十九囘カタログに同じ象山の秋の詩を書いたものがあり、かうなると此方も欲しくなる。しかも前回より安いと來てゐる。今囘は他に余の好みの水石やら墨床、それに香道具一式まであつて欲しいものだらけである。とは言つても予算は限られてゐるから悩んだ末に、先の象山の書と鈴木其一の畫幅で茶碗の前に置かれた白い椿一輪を描いたものに入札することにした。其一は余の好む琳派、それも江戸派の中でも好きな畫家の一人で、京都の細見美術館で見た其一の雪に梅圖が氣に入つて、其の細密な複製畫を求めたことがある。額装であつたが古裂會で出品されてゐる其一の畫軸よりも遥かに高い。眞贋はともかく、氣に入つた軸装であれば古裂會で買つた方が良いといふことになる。他にも其一の師である酒井抱一の畫も出品されてゐて驚く程安いものもあるが、安ければ何でも良いといふ訳ではないし、安すぎて本物らしく見えなかつたりで、結局一番氣に入り、冬の間嶺庵の床の間に掛けてをくのに格好の茶碗椿畫幅に入札したのである。
さて今囘のオークシヨンの競賣が行はれるのは十一月十日で、其の日余は京都に居たものの、勿論競賣に立ち会つた訳ではない。ただ其の日堀川通りの裏千家の茶道資料館を訪ねた際、酒井抱一の兄に當る酒井宗雅の茶道具の展示に混つて抱一の畫幅があり、其れが正に茶碗に椿の取り合はせだつたのを偶然とは言へ面白く見たといふことがあつた。其一は師抱一の此の構圖に倣つて余が入札した繪を描いたのかも知れない。ただし、抱一では茶碗が前で椿の花は茶碗の陰から覗くやうに見えてゐるのに對し、其一のものは椿が茶碗の茶色を背景に花の白さも鮮やかに前面に描かれてゐる。工夫といふか、畫家の好みの違ひが出てゐるやうで興味深いが、此の時には大して氣にもとめずにゐた。
さうして其の日のうちに横濱に戻り、翌日曜も慌しく過ごして週明けの月曜、歸宅すると早や古裂會から落札結果を知らせる封書が届いてゐた。早速開けてみると、象山の書は落とせたが其一の畫は不落札であつた。悔しい思ひで落札価格一覧表に目を走らす。見ると茶碗椿畫幅は余の入札額よりかなりの高額であつたがその金額には見覚えがある。何だらうと思ひ廻らしてはつと氣づいた。競賣の前日の九日、清水の京焼の店で見たそばから氣に入つて到頭買つてしまつた長次郎写しの樂茶碗の値段と同じだつたのである。茶碗に椿の繪を求めんとして果たさず、代はりに本物の茶碗を購ふことになつた次第である。それも本物の長次郎ではなく「写し」であるところも何やら意味あり氣な不落札の顛末を此処に記し置く。
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