古美術・骨董・茶の器

茶の湯の危機

今回のコロナ禍で思いもかけない形で影響を受けた職種や職業は少なくない。今までの生活が、人の移動の自由や密な空間、人と人との接触という、今や当たり前のことでなくなってしまったことを前提として成り立っていたことに、現代社会としては初めて気づか…

連休前半

四月二十七日(土) 家内の実家に行き、預け置きたる夏物の服を持ち帰る。 四月二十八日(日) 横濱にて買物。夏物スーツとレインブーツを購ふ。 四月二十九日(月) 朝から車にて出立。三重県亀山に投宿。関宿の町並みを散策。江戸の頃の東海道かくありやと…

予報外れ

十月九日(日)陰後晴 木曜の夜から年史の調査と美学会出席のため京都に来ている。出る時の予報では土日雨とのことであったが、結局持参した傘を開くこともなく過ごせた。今日は学会の発表を聞く合間の時間で今月一日より公開となった三井家下鴨別邸と樂美術館…

蓋置

九月五日(月)雨 クリニヤンクールの蚤の市に出掛ける。相変わらずあまり治安のよくなさそうな地域である。月曜の上に小雨が降ったり止んだりのせいか、人も少ないが空いている店も少なく、ある意味ゆっくり見ることができた。最近出来たテーマパークのような…

米色青磁

九月六日(土)晴 十一時より一如庵にて稽古。其の後上野の國立博物館に往く。一時半から青磁に就いての講演『日本人が愛した官窯青磁と横河コレクションについて』及び『米内山陶片と米色青磁』を聞く。官窯に關する話や青磁と米色青磁が土も釉薬も同じである…

普及版を望む

七月十八日 高橋箒庵の日記『萬象録』を讀んでゐる。慶応義塾で福翁の知己を得て時事新報の記者となり、欧米に遊んだ後三井に入り三越の近代化などに辣腕を振るつたものの、五十で事業から退いてからは茶の湯を中心とした趣味に遊ぶことを専らとした、明治大…

大江戸江戸明治

六月朔日(日)晴、暑し 午前大江戸骨董市に赴き、澤蟹の飾り物及び小さな木製の花台を購ふ。其れから上野に出で人混みの中、國立博物館に往く。新収品展示室にて是眞の水墨画を見る。其の他本館内を観覧し、没倫紹等賛一休和尚像、高村光雲作老猿等、美術史上…

寺町夷川紫野

三月三日(月)陰晴不定時々小雨 ホテルに荷物を預けてから三條通りで朝食の後十時半烏丸御池驛にて如覚と落合ひ、再び三條を東に進み亀屋則克にて菓子を購ひ、また分銅屋にて濃紺の足袋を買つた後寺町通りを北上、香炉を物色したいといふ如覚に付合ひ骨董古美…

骨董市と例會

十一月十七日(日)晴 七時半起床、臨書の後朝食。九時前家人と家を出で有樂町へ往く。十時過ぎより大江戸骨董市を見て廻る。來年三月まで休市となる由。其のせゐではなからうが、思はぬ安価にて得たるもの多し。余は堆朱の銘々皿、蟹の金工蓋置などを購ふ。一…

火山と盃洗、新居

十一月四日(月)陰後雨 九時半家人と家を出で鎌倉に向かふ。京浜東北線車中にて偶然M氏に会ふ。昨日横濱骨董ワールド會場のパシフイコ横濱にて遭遇したる際此の日倶に映畫に行くことは約せしが、電車やまして号車までは指定せざれば奇遇と言ふべし。鎌倉より…

明清と茶器

十月十二日(土)晴 十一時より一如庵にて尺八稽古。辞して會津八一記念博物館に赴き、明清の書畫を観る。李鴻章、徐世昌の他犬養木堂の書もあり。一朝菴にて蕎麦を食したる後歸途に就き、歸宅後家人と倶にその煎茶道を習ふところの先生宅に車で往き、東阿部流…

月末猛暑

八月三十一日(土)晴 いつも通り六時半に起き、習字をしてから入浴、朝食、あまちゃんと進み、八時半過ぎ家の近くからバスに乗って鶴岡八幡宮に赴く。参道で骨董市が開かれると聞いたので行ったのだが、規模は大江戸に比べると小さく、また安めのものが多い。…

古書高騰

六月五日(水)晴 心地よい天気が続いている。 先日、西山松之助『ある文人歴史家の軌跡』を読み終えた。これもまた千夜千冊で採り上げられた一冊である。茶杓へのこだわりが面白く、実竹を使うことを初めて知った。また、歴代の名物茶杓のスケッチとメモ、短…

大江戸・淺草

六月二日(日)晴 少し前まで天氣豫報では雨模様の筈が晴間が差し豫報にも降雨の可能性低ければ金曜に届きし結城紬の着物を着て家人と外出。まづ有樂町大江戸骨董市に向かふ。黒檀の印矩、風鎮、煤竹の茶杓、手拭等を購ふ。其れから小洞天にて晝食。日比谷まで…

不落札

五月二十日(月)雨 歸宅すると古裂會から入札結果の通知が届いてゐた。急ぎ開封するに余が入札せし香木は不落札なるを知る。實に殘念至極。下見會で實際に嗅いで伽羅と目星を附けたので何としても落とさうと多少奮発したものの及ばず。悔しき事限りなし。斯く…

觀智院、骨董、香木

五月十一日(土)雨 八時過ぎ宿を発ち京都驛に行き、其処から徒歩東寺に至る。何時行つても東寺は中途半端に遠い。バスや電車に乘る程ではないが歩くと結構あるのである。九時過ぎ東寺塔頭觀智院に入る。初めての拝觀なり。宮本武蔵の水墨画や五大虚空菩薩像、…

三つの到着

四月七日(日)晴風強し 此の日待ち望んでゐた三つの荷物が届いた。ひとつは『宋四家字典』。二玄社刊で、ずつと欲しかつたのだが、版元品切とのことで思ひ切つて古本で買ひ求めたもの。宋四家とは言ふまでもなく、蘇軾、蔡襄、黄庭堅、米芾を指す。此の四人の…

注射と日本語

三月二十五日(月)雨後陰 朝から藤が丘に往き診察を受け注射を打たれ、其の後リハビリのマツサージも受けてから午後より出社。此の日移動の電車の中で今野信二著『百年前の日本語』(岩波新書)讀了。文體論かと思つたら漢字の用字や振り仮名の表記などについて…

大江戸

三月十七日(日)晴 未明、突如腹痛を感じて目覚め厠に呻吟する事小半刻。年に數囘かういふ事がある。下痢になる訳だが痛みに體を支えてゐられない程になる。其の後治まって再び眠る。朝早めに出掛けるつもりであつたが九時まで寝て予定が狂ふ。起きて臨書の後…

文樂三樹夫

二月十七日(日)陰 九時前家人と家を出で半蔵門國立劇場に往く。十一時より文樂二月公演。第一部の『摂州合邦辻』万代池の段、合邦庵室の段を観る。説経節俊徳丸を下敷きにするも主眼は玉手姫と合邦親子に移り、説経節の持つ素朴ながら情念の底を感じさせる筋…

大樋焼 

十一月二十五日(日)陰 八時起床。午前中は揮毫。晝食後眠氣甚しく仮眠。二時前家人と出掛け横濱高嶋屋七階美術画廊に赴く。大樋長左衛門の作品展の呈茶席に岳母の師たる関先生を訪ね、岳母ともども挨拶の後一茶を喫す。出されし茶菓まづし。甘さくどく驚く…

徳利と例會 

十一月十八日(日)晴 九時半家人と家を出で有樂町に到る。大江戸骨董市を見て廻る。義妹と合流し倶に晝食を取る。此の日備前焼の徳利を得る。家人と義妹は倶に出掛ける為地下鐡の永田町にて袂を別ち、余は早稲田迄乘車。二時より如道會例會。余はO君と松風…

予告の實現

十一月十五日(木)晴 昨日記せし古裂會の落札不落札の顛末につき纏めたので下記に掲げる。 不落札顛末記 京都に古裂會といふ会社があつて年に數囘骨董品のオークシヨンを主宰してゐる。ぶ厚いカタログが送られて來て、それを見て期日までにフアツクスで入札を…

書幅

十一月十四日(水)晴 朝から喉痛み終日声の出難き状態續く。歸宅後八寸管を吹くこと日課の如し。一閑流六段を四回吹く。夕食前宅急便の配達あり、先日落札せし象山の三行書幅届く。秋の漢詩にて今の季節に相応しければ早速嶺庵に飾る。軸装の色調も秋らしく、…

骨董と端唄 

十月二十一日(日)晴 宿醉殘り睡氣甚しき中何とか起床。入浴の後着物に着替へ九時半過ぎ家人と家を出づ。電車にて有樂町に至り、大江戸骨董市を覗く。家人は扇子形の文鎮、余は舟形の水滴と印傅の名刺入れを購ふ。又、三味線の撥の形をした小さなストラツプ…

骨董日和

七月二十二日(日)陰、涼しさ続く 終日家に在り。筆を執りM先輩宛に書簡を認む。先日の礼状也。其の後岳母に贈る短冊の書を試みるも納得行くものが出來ず短冊を無駄にするのみにて竟に成し得ず。明日短冊を追加購入して継続する予定。色紙より短冊の方がバラ…

例會

五月二十日(日)晴後陰 早朝N子は越南に向けて出掛けて行つた。義妹のK子と二人でのシヨート・バカンスである。余は八時過ぎに起床し、十時前家を出で、有楽町で降りて大江戸骨董市を覗く。多少目が肥えたせゐもあらうが、余り目ぼしいものは見つからず。茶…

音論芸談

四月十五日(日)晴、昨日よりは暖かきものの夜になりて寒し 十時半過ぎ有楽町に着き、大江戸骨董市を見て歩く。房紐を二つ購ひ、また龍村織物の敷き布を求めし他は結局何も買はず。水滴や茶入れに見るべきものあれど予算に合はず断念。昼食をとつた後十二時半…

香道で引用される和歌のつまらなさについて―或いは権威とセンス

十一月十三日(日)晴 八時半過ぎお召を着て出立。地下鉄銀座から歩いて男着物もとじに往く。十時より袴の着方講座。前に神楽坂しなりで着方を教へて貰つた事があつたが、間が開いて忘れてしまつた。それが偶々今回無料の着付け教室の案内を貰ひ、丁度袴と着物…

片付け

十月二十九日(土)陰時々晴 宿酔と睡眠不足で終日睡気甚だし。N子の荷物を収納すべく、さらに物を捨て家の中の整理を進める。居間は大分片付き、飾り物などを配置してかなり良い雰囲気になる。使ひ勝手の悪い空いたスペースがあるよりも、ある程度物が置かれ…