茶の湯の危機

 今回のコロナ禍で思いもかけない形で影響を受けた職種や職業は少なくない。今までの生活が、人の移動の自由や密な空間、人と人との接触という、今や当たり前のことでなくなってしまったことを前提として成り立っていたことに、現代社会としては初めて気づかされたわけで、多くの職種や企業がこの先変革しなければ生き残れない事態になっている。それまで花形であった航空業が存亡の危機に瀕し、サービス関連、外食などはもはや以前のような状態に戻ることはないようにも思われる。それに演劇や音楽などのパフォーマンス系も劇場やホールといった、多数の人が集まる空間を奪われたことで、活動そのものがかなり制約を受けるものになることだろう。

 そんな中、茶の湯、すなわち茶道と呼ばれるものも、今後かなり存続が難しくなるのではないかと思う。小間での茶会や稽古は論外だろうし、濃茶で同じひとつの茶碗を回し飲みするなど、現在の眼からすれば狂気の沙汰である。点前において茶巾で茶碗を拭うといっても、水屋の様子を知っている者にとっては決して衛生的でないことは明らかである。稽古や研修会などは当面休止状態なのがほとんどであろう。茶会なども当然開きにくい時勢である。

 そうなると、今まで何となく続けて来た人の中に、これを機会にやめてしまう人も出て来ることだろう。毎月の稽古が続く中では、なかなか「やめます」と言い出しにくい雰囲気があるが、休止のままフェードアウトするのは比較的楽だと思われるからである。そうなるとお茶の先生の収入が減り、茶会も出来ないから、新たに道具を買うことも着物を誂えることも控えるようになるだろう。それは先生に限らず習う方も同じだから、着物や茶道具は売れなくなるだろう。出掛けるところがないのに着物を買い続ける人は、今の日本ではごく少数なはずだ。そうなると道具屋や呉服屋の収入が減って、廃業する者も出て来るのではないかと思う。

 これは、茶の湯に限らず少人数ないし一対一の稽古を基本とする芸事や習い事に共通する事態かも知れない。古典芸能がそうなるとすると、ますます着物が売れなくなる可能性がある。ひいては、茶の湯が支え、茶の湯を支えて来た業種の中に、立ち行かなくなる者が続出するのではないかとも思うのである。

 実際、煎茶道のように小さな流派が乱立して多くの家元がいる世界では、家元廃業、流派解散という事態が出て来るのではないかとも思っている。今はまだ、経済の減退が一般レベルまでは実感できないから、それほどの危機感はないかも知れないが、爆発的な感染を防いでもこの先もそこそこ感染が続くとすると、その長期の停滞に耐えうる流派がどれほどあるだろうか。流派の重鎮やパトロンの多くが資産を著しく減らす可能性もある一方で、逆にこの先新たなビジネスチャンスを掴んで富を得る者たちが、茶の湯や古典芸能などに金を使う可能性は限りなくゼロに近いからである。