香道で引用される和歌のつまらなさについて―或いは権威とセンス

十一月十三日(日)晴
八時半過ぎお召を着て出立。地下鉄銀座から歩いて男着物もとじに往く。十時より袴の着方講座。前に神楽坂しなりで着方を教へて貰つた事があつたが、間が開いて忘れてしまつた。それが偶々今回無料の着付け教室の案内を貰ひ、丁度袴と着物が届く直後だつたので申し込んだのである。他の受講者も皆年配の方ばかりで、見たところ余が一番若さうである。着物で来たのも余の他にひとりだけ。
まずは一文字の帯の結び方から始まり袴の着付けが始まつた辺りでN子が到着。N子も着物で一緒に来る予定だつたのだが、案の定着付けに時間が掛つて余だけ先に出たのである。自分でも覚えるが、通常はN子に手伝つて貰つて着る事が多いので一緒に覚えてもらつた方が心強い。講師の指導で二度袴を着けてみる。何となく仕組みが分かつた程度で、とてもネクタイのやうに理屈でなく手が動くやうになるには程遠い。とにかくなるべく袴を穿くやうにするより他はなささうである。それから今度は袴の畳み方。竹尺を使つた折り目の付け方や紐の始末が実に機能的で美しい。日本の生活文化といふのは箱と紐の洗練によつて成り立つてゐることを実感する。茶の湯でも香道でも、或は骨董の供箱でも、紐の結び方は複雑でありながらかつ優美であり、日本人の手先の器用さにはほとほと恐れ入るしかない。面倒ではあるが、呉服の保存といふ点で実用的でもある畳み方を少しでも身につけたいと思ふ。
着付け教室が終はり、本来の目的であるコート販売の時間となる。極めて上質なベビーカシミアなる素材をもとに作る九着限定の、着物にも洋装にも合ふオーダーメードの二重廻しがメインである。トンビとかインバネスと呼ばれるマント式のコートで、確かに温かく格好は良いが、街中で着るには多少の勇気を必要とする。一応余もサンプル品を着てみて、よくお似合ひですと勧められたが、裏地によつては八十万円以上するといふので勿論諦めた。ただ冬の寒い時期に着物で出掛けるのに必要な、角袖といふ形のウールのコートは欲しかつたので、店内にあるものを幾つか見せて貰つたが、生地を選んで誂へるとそれでも二十万円以上するといふので保留とした。着物の世界は値段があつてないやうなもので、同じものが場所やルートで全く違ふ金額で手に入ることを含め此の世界のことを多少は知つてゐるN子は、銀座の店で定価正札で買ふのは馬鹿馬鹿しいと思つてゐるやうで慎重である。ただ、男物で古臭くない良いものを揃へてゐる店自体が少ないこともあつて悩むところではある。見ると角帯の良いのもあつて余のお召にぴつたりなのだが、これも十五万とのことで、結局何も買はずに帰る。途中店主が寄つて来て余の着物を褒め、それだけの着物を着てまさか吊るしのコートなど買ふ訳はないでせうといふやうな顔で頻りに例のカシミアを勧めるが、とても考慮に入れられるやうな金額ではない。しかしまあ、良いものを見せて貰ふのは楽しいものである。
それから三越の裏手にある和食の店で昼食を取り、途中銀座通りのコアビルにある香十に寄り、其の儘新橋まで歩く。山手線にて原宿に移動し、徒歩妙喜庵に至る。二時より香道稽古。余は来春のお初香の際に執筆を務めることになり、その練習として今日も筆者となつた。その為万が一墨で着物を汚すのを恐れ、持参した普段着に着替へてから臨む。今日は寝覚香にて執筆の作法を覚えるのと実際に筆を執る事に気を取られて大して香を愉しめず。
ところで、お初香では常盤木香といふのをやるのでその手本も貰つてあるのだが、その組香で本歌として引かれた歌、
「ふり積る深雪に耐へて色変へぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」
は実につまらない歌である。だいたい組香に使はれる証歌の類は面白くないものが多くて、香道の人たちの文学的センスを疑はざるを得ない。分かりやすいと言へばさうだが、何といふか、悲しくなるくらゐ情趣のない言葉遣ひで、歌といふより道徳の標語のやうで無粋なこと此の上ない。こんなものを有難がつてゐる程度のセンスしか持ち合せてゐないとしたら、まともな文人香道の連中を見限るのもむべなるかなと思ふのである。香木は良く、道具や作法もそれなりに美しいのに、香道にはひとりの利休も遠州も現れなかつたといふことであらうか。三条西実隆や志野宗信はともかく、その後に革新を推し進める中興の祖の出なかつたのは事実であらう。香席でいつも居心地の悪い思ひをするのは、香満ちて後の雑談の際など参加者がこんな駄歌をさも奥深い歌のやうに賞賛したり感心したりするのを耳にする時で、さすがにつまらぬ歌ですねと本音を言ふ訳にも行かず、苦々しい思ひで黙り込むより他はないのである。
四時半過ぎ再び着物に着替へてから妙喜庵を出て、渋谷経由東横線で横浜に戻る。高島屋美術サロンにて中村宗哲展を見る。千家十職のひとり、漆器塗物の家である。岳母からも見てをくやうに言はれて寄つたのだが、楽吉左衛門と同じレベルを予想してゐたのが間違ひなのだらう、それ程良いとは思へなかつた。もちろん悪くはないが、棗ひとつ取つても、それがどうして九十万も百万もするのか、わたしの理解の範囲を越える。違ひが分らない男と言はれればその通りだが、デザインにしても仕上げの美しさにしても、十分の一以下の価格で遜色のないものはいくらでもあるやうに思はれる。楽さんのは、やはりちよつと格が違ふといふ雰囲気を感じるのだが、こちらはとても値段に見合つた価値があるやうには思へなかつた。一体誰が買ふのであらうか。千家が安く買ひ上げて、函書をつけて今日の値段よりも高く売り付け、それを有難がる「門人」も多いのであらうが、わたしには無縁の世界である。家元制度の最大の功績は「集金システム」の確立だと蔭口のひとつも聞きたくなる。ピラミツド式の上納金体系と権威による売る側の価格決定権は、宗教ややくざの世界と全く同じであらう。
着るものにしても茶道具にしても、或は和歌にしても、「権威」がものの良し悪しの評価や、より直接的には「値段」を左右する世界からは身を遠避けて置きたいと思ふ。自分の身の丈を自覚した上で、自分の美的な感覚だけを頼りに、値段に幻惑されずに「和」の正道を生きて行きたいと思ふのである。
高価な香木こそ持つてはゐないけれど、和歌の良し悪しや好みについては何事か言へるだけの素養は積んで来たつもりである。言葉や文学のセンスを磨いてくれるのは、金やモノではないからである。モノありきで始める芸事や習ひ事と、コトバありきで始める文学とがあり、わたしの出自はあくまで後者であつた。その上で前者の世界に近づいて行つたのである。其の為、前者のみで育つた人たち、或は前者後者を同時にして来た人たちとわたしとでは、モノとの接し方が多少違ふのかも知れない。
帰宅し夕食後書斎で年末調整の用紙の記入に時間を費やす。まあ、年末調整を申請してゐる時点で、カシミアも宗哲も、ましてや伽羅も、もとから遠い存在ではあつたのである。生まれ育つた家に高価なものがあるわけでもなく、その後の人生で高いものを買ふだけの財力もなかつたといふだけの話だから、偉さうに和歌のセンスを自慢したところで、要するにただの負け惜しみなのかも知れぬ。ただ文学だけは、高い金を出して買ふ「モノ」が必要ない分だけ、ある意味誰にでも開かれた世界であつたことに今更ながら気づかされて驚くのである。