お召と尺八

十一月十二日(土)晴
昨日の冷たい雨と打つて変はつた良い天気である。割と早くに起き、ゴミ出しなどした後九時過ぎ車で家を出る。ところが道の選択を誤り渋滞につかまつて十一時からの尺八稽古に遅刻してしまつた。十二時過ぎまで稽古の後護国寺から首都高に乗り其のまま東名に入るも、再び渋滞で町田のN子の実家に着いたのは一時半過ぎであつた。お茶の稽古に来てゐる生徒さん数人と初めて顔を合はせる。またN子の結婚を聞いて祝ひに来てくれた元同僚夫妻にも会ふ。歓談するうち三時過ぎ呉服の越後屋さんが到着し、余のお召が仕立て上がつて来たので見るに、予想通り素晴らしい出来である。羽織や袴の色目も鮮やかなれど派手ではなく渋さもあつて、流石に茶道の先生の処に出入りしてゐる呉服屋さんだけあつて茶人の好みを知つてゐるやうだ。俄かに自分が茶人になつた気がしてくる。羽織紐も良いものを見繕つてくれ、此の揃へでちよつと信じられないくらゐに安い。銀座だつたら着物だけでも買へない値段であり、有難いこと此の上ない。
其の越後屋さんが尺八を入れる袋も作つてくれるといふので、稽古の後で現物を持つてゐたから取り出して見せるに他の客も興味を持ち、折角の機会でもあり其の場で何曲か吹く。
和服や茶に興味を持つ人たちだけに、熱心に聞いてくれ、余も興に乗つて二尺三寸のみならず一尺八寸も取り出して、音味の違ひや吹き方、虚無僧の歴史などのレクチヤーまでする。其の間客人たちは炉開きのお汁粉を食しながら聞いてくれる。炉の炭火が温かい茶室で竹の音を聞く、ゆつたりと時間の流れる秋の夕暮れであつた。
五時過ぎ越後屋さんを見送り、生徒さん達も帰つた後余とN子のみ茶の湯の稽古。余の場合岳母がじつくり細かく教へてくれ稽古の密度も濃いので、進み方も早いといふ。まだ分らないことだらけではあるが、幾つかの所作は少しは様になつて来たやうに思ふ。合理的で無駄がなく、かつ美的な配慮の効いた所作が殆どなので、なるほどといふ納得と、これはといふ小さな感動を繰り返しつつ学んでゐる。早くお召の着物を着て人前でお点前が出来るやう精進を続けたいものである。