ピンクリボン

十一月十四日(月)陰
言ふまでもなく、乳癌撲滅キヤンペーンのことであるが、その運動自体に異議はないまでも、日本でのさうした動きに違和感を覚えてゐるのも事実である。と言ふのも、早期発見の為のマンモグラフイーの使用に対して、何らリスクや問題点を指摘することなく、無条件に普及を推奨してゐるやうなところが見受けられるからである。何であれ世上で持て囃されると冷静な批判に耳を貸さずに誰も彼もがそれを受け入れ、一旦何か重大な事故が起こつたり欠陥が明らかになると急にぱつたりと誰も話題にしなくなるといふことが多すぎるのである。絶対に良いものも絶対に悪いものもないことを前提とし、考へられるリスクを勘案した上でのマンモ普及に対する反対意見ももう少しあつて然るべきだと思ふのだが、一般のマスコミ上でさうした議論は殆ど耳にしたことがない。アメリカで多くの反マンモの論調を耳にしたのと余りにもかけ離れてゐる。
原発事故によつて明らかになつたのは、東電や原発を推進させた政治家や企業が作り上げた「安全神話」の欺瞞と詐欺だけではない。むしろ、ゼロリスクを望むあまり「安全神話」を信仰してしまつた我々日本国民の心性の無残さこそが白日のもとに晒されたと言つた方がいいのかも知れぬ。言及しないからリスクがないのではなく、利害関係者が敢て口を噤む処にこそリスクの匂ひがするといふ、性悪説に近いものの見方への転換を迫られたと言ひ換へることもできやう。
さうであるのに、マンモを巡る議論の問題点は、放射線が癌化リスクの要因となることが周知のこととなり、福島原発の事故以来放射線の脅威がクローズアツプされてゐる時期にも関はらず、誰もX線を使ふマンモグラフイーの危険性に対する疑問をぶつけないといふことであらう。癌の発見をする為に癌化リスクを冒すといふのでは、名著『健康のためなら死んでもいい』の世界になつてしまふ。
先日、松岡先生の千夜千冊で『反核シスター』の項を読んでゐて、特にその思ひを強くしたので敢てここに記した次第である。