骨董日和

七月二十二日(日)陰、涼しさ続く
終日家に在り。筆を執りM先輩宛に書簡を認む。先日の礼状也。其の後岳母に贈る短冊の書を試みるも納得行くものが出來ず短冊を無駄にするのみにて竟に成し得ず。明日短冊を追加購入して継続する予定。色紙より短冊の方がバランスを取るのが難しい。半紙での下書きは上手く行くのに、いざ短冊に向ふと丸で駄目である。
先日古裂会のオークシヨン結果が届き、入札のないものは最低価格にて購入できるとの事なれば、夕刻よりカタログと落札額一覧表を見比べ、森守章の日本画と水指、銅製の墨床、長尾雨山の書の四点に絞り、N子と相談の結果文具はまづ却下され、結局水指に決定。明日問ひ合せてみるつもり也。余は書であれば佐久間象山か近衞文隆のものが出れば借金をしてでも購入したきものと日ごろ思ひ居たるも未だ巡り逢はず。絵も書もいろいろ持ちたいが、良いと思ふもので予算内のものは、当然の事ながら殆ど無い。
真贋の保証はしない為か、古裂会のものは信じられぬ程安いものが出てゐる。池大雅の三行書幅が十一萬圓とあつて、流石に信じられないが、カタログを見る限り落款は一如庵で見る本物と酷似してゐる。カタログを見て自分なりに良ささうに見えるものに印をつけてをき、後で落札額と比べると面白い。ひとつ沈香の香木が出てゐて最低入札価格十八萬圓に対し落札額は五十二萬六仟六百圓であつた。伽羅かどうかも定かでないのに、下見でもしたのだらうか、其の道のプロが買ひ求めたものであらう。最初に見た時食指が動いたものの、最低価格でも手が出ないので入札は諦めたものである。とは言へかうしてオールカラーの綺麗な骨董のカタログを眺め、落札価格と見比べるのは樂しいものである。